「軽率であることをおそれないでいこう」 (武沢信行)
あなたの今年のモットーは何ですか?
昨年、mott∞(モットー)というサイトを運営している方と知り合いました。サイトのコンセプトページにはこんなメッセージがあります。
「モットー、なに?」
あなたなら、何と答えるでしょうか。
そこにはあなたが究極的に求めているものが表れています。自分らしく幸せに生きるために欠かせないもの*****
自分のこころに目を向け、耳を傾け、全ての直感を研ぎ澄ませてください。
見てみてください。感じてください。
知ることは大きな変化をもたらします。
今年の僕のモットーは「ムダであろうと思えることならやってみる」ということに決めました。「ムダであろうと思えること」と「ムダである(と言い切れる)こと」とは違います。かなり。
「ムダであろうと思える」というからにはそこに判断が入っています。予測、推測、憶測含み。ということは、「ムダであろうと思えたけれども、実際にやってみたらそうではなかった」ということもあり得ます。ただし、「ムダであろうと思いつつ、実際にやってみたけど、やっぱりムダに終わった…」という結果も受け入れる前提です。
「これは間違いなくムダだ!」と言い切れるものでない限り、ムダではない可能性はゼロではありません。つまり「ムダだ!」と言い切れるもの以外はやってみる価値はあるわけです。
そもそも「ムダであろうと思える」とは、未体験だから(=やってみていないから)こそ出てくる言葉。未体験のままにいろいろと調べていけば、ムダかどうかの判断材料が集まるかも知れませんが、それらは未体験の域を出ない以上、極論すれば時間のムダです。
がんばれ社長「軽率をおそれない」でも同じようなことが書かれています。
●時間を無駄にすることを避けたいものだが、最も無駄な時間の使い方ってどんなものだろうか?
遊ぶこと?遠回りすること?さぼること? すべてノーだと思う。●逡巡やためらいで始動が遅れることこそ最もムダな時間ではなかろうか。日本では「下手な考え休むに似たり」ということわざがあるが、考えるふりをして実は決断を先延ばししているだけの時がある。
決断する前の思索を楽しんでいるのかもしれない。ベストな決断をしようと思うと時間を失う。●偉大な作曲家たちは、意欲がわいたから作曲に取り組んだのだろうか?答えは「否」だ。
ベートーベン、バッハ、モーツァルトは、毎日毎日、来る日も来る日も、作曲中の作品に取り組んだ。彼らはやる気やインスピレーションがわくまで待って、時間を無駄にするようなことはしなかった。作曲に取り組んだから意欲がわいたのだ。
そんな「がんばれ社長」の武沢さんは、「よし今からプラズマテレビを買うぞ!」と決めて20分後には購入していたそうです(DVDレコーダーも一緒に)。
今までやったことがないことを始めようとしたり、何か新しいモノを買おうとするとき、いろいろと調べて本当にそれでいいのかどうかを慎重に検討する、という習慣がいつの間にか身についています。この検討に要する時間というのは訓練することで短くできます。
その訓練とは、あれこれ検討をせずにとにかくすぐに始めてしまったり、買ってしまうことです。
そうすれば、事前にどんな点に気を付ければ良かったのかがわかるので、次回からの検討のポイントが明確になります。さらには、当然のことですが、やってみなければわからなかったことがより早い段階でわかるようになります。
そう考えると世の中にお試し期間や試供品があるのは非常に頷けます。
でも、人生にはお試し期間はなく、直面する出来事はすべて最初から本番です。日々押し寄せるのは、
1.ムダであろうと思えること
2.ムダであること
3.する価値のあること
という3種類。
「する価値のあること」は、もともとはムダであろうと思えたこと。実際にやってみたことによりその価値を見い出し、継続していること。いちばんとっつきやすいこと。でも、だからといってそればかりを繰り返していると新鮮さを失い、ロボットに支配されてしまいます。そこで、いかに「ムダであろうと思えること」に取り組み、新たな「する価値のあること」を生み出すかがカギになりそうです。
「ムダであろうと思えること」に対してどう行動するかを決めるうえで文字通り決め手になるのが自分で決めたモットー。常に今の自分にとって価値のあることを探し続け、やり続けるための指針になります。この軸がブレない限りは、ストレス少なく気持ちよく楽しく過ごせるのではないでしょうか。