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わかっているのに行動に移せない理由

「スペースに存在する本当の価値をつくり出す仕事や挑戦に着手しやりとげるには、自分との真摯な対話が必要だ」 (野田智義)

昨日の「挫折する人は『戦略的サボり』が下手である」(雑誌「PRESIDENT」の特集より)の続きです。

組織の中で優等生を演じると、あっという間に、制約の蜘蛛の糸に絡め取られる。スペースに気づいても、そこでの行動に振り向けるエネルギーは手元に残らない。

ここでのキーワードは、脱・八方美人。『嫌われる』という勇気を持つことだ。

ということで、組織の制約から自分を解放する、までは良いのですが、ではその後に具体的にどうするか、の壁にぶつかります。

その壁は、現状を理解し、自分の状況を把握し、戦略的に行動するという「頭」のなかでの作業では乗り越えられない。そこでは、「頭(理性)」ではなく「心(感情)」が鍵を握るからだ。その壁を乗り越えるには、「組織や社会に大きな価値を与えること」に自らが着手し、継続し、やりとげるということについて、自らの意志を固める必要があるのだ。そして、それらは自らの覚悟を決め、時には「捨てる」という勇気を持つことである。

スペースに存在する「組織や社会に大きな価値を与える」ような挑戦は、いわゆるハイリスク・ハイリターンです。論理的に、あるいはマーケティング理論に則って、徹底的に頭で考え抜いたとしても、決断を下す段階になるとまったく逆の行動に出たりすることがあります。「直感」を信じる、ということを言う人もいます。

本文では、このような挑戦を「旅」になぞらえています。

残念ながら、旅を始め、旅を続ける意志は、これら一連の「頭」での分析だけでは生まれない。実際、アクティブ・ノンアクション状態にある私たちの多くは、綿密な戦略分析など行わなくとも、何をすべきか、何ができるのか、おぼろげながらであっても、すでに気づいていることが多いのではないだろうか。

頭ではわかっているのに、行動に移さないのはなぜか。それは、「頭」が理解しても、「心」がそれを真正面から支持していないのだ。

このあと、アニメ「アルプスの少女ハイジ」の1シーンが紹介されています。

 1.ハイジ、クララと喧嘩をして「クララなんか嫌いよ」と発言
 2.ハイジ、車椅子に座ったクララを残して丘を駆け下りる
 3.クララ、「ハイジ待って!」と思わず立ち上がる
  → 「クララが立った!!」

それまでは、医者が歩けるはずだといくらクララに科学的に説明しても、頭で理解しただけのクララは立ち上がらないし、一人で歩けない。クララの心のなかで、感情が大きく揺さぶられたとき、初めて頭と心が一致して、立ち上がる。アクティブ・ノンアクションに悩む私たちにもっとも重要なことは、このことなのだ。

旅に出ること(私たちの場合でいえば、スペースに存在する本当に価値をつくり出す仕事や挑戦に着手しやりとげること)を、「頭」だけでなく「心」からも支持するには、一体どうすればいいのだろうか。それには自分との真摯な対話が必要だ。

「頭」は文字通り頭がいいので「○○すればうまくいく」というコツやノウハウや方法論といったショートカットを求めがちです。

「心」は「よくわからないけど、○○してみたいからやってみる」という、たとえ回り道をしてでも自分にまっすぐなスタンス。

言い換えると「頭」は外へ外へと向かうのに対して、「心」は内なる自分にフォーカスします。

「自分のためにブログを書く」というエントリで、

割と忘れがちなことが、過去の自分というのは他人である、というポイント。そのために自分の外に記録するのでしょう。記憶があてにならない以上、その日に自分が考えたことはその日のうちに外部記憶媒体(例えばブログ)に退避させておく。そうすれば、自分が築いてきた未完成の“砦”を他でもない自分があとから見上げながら、その進捗状況を確認することができます。

例えば、時間を経て記録を読み返すことでそこに当時は気づかなかったひらめきが見出されるかも知れません。

と書きましたが、これは自分の「おぼろげながらであっても、すでに気づいている」こと(=「心」)を客観的に目に見えるところに出し、行動を促すようにするための試みと言えそうです。

そういう意味では「自分のためにブログを書く」ことは、これを読み返すことを通して自分との真摯な対話を実現するための1つの手段と言えるかも知れません。