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セレンディピティとは何か?



大橋悦夫昨日たまたま『セレンディピティ』という映画を観たのですが、いろいろ気づくところがありました。

映画の内容としては、ニューヨークで偶然出会った男女が意気投合し「いい感じ」になりつつも、お互いすでに相手がおり、せっかく盛り上がったものの「ここまでですねー」ということで解散。

とはいえ、そのほんの数時間の間に芽生えた感情を前に、2人はその後のことを以下の2つの“しるし”に託します。

  • 1.古本
  • 2.5ドル紙幣

女性が、持っていた本に自分の名前と電話番号を書いて古本屋に売りに出すので、男性がそれを手に入れたら「運命」ということでこれを信じてみる。

男性が、持っていた5ドル紙幣にやはり自分の名前と電話番号を書いてその場でキャンディの購入に使い、その紙幣を女性が手に入れたら「運命」ということでこれを信じてみる。

まぁ、映画なので、2人ともそれらのアイテムを偶然にも手にすることになるわけですが( ← ネタバレ)、これほどドラマチックではないにしろ、もう少しスケールの小さなプチ・セレンディピティはけっこうな頻度で体験しているような気がします。

ちなみに、セレンディピティ(serendipity)というのは「偶然の幸運に出会う能力」。

偶然の幸運に出会うコツとは?

昨日ご紹介した「アハ体験」をもっと知ろうと茂木健一郎氏による『「脳」整理法』を読んでいたら、偶然にもセレンディピティについての記述にぶつかりました。

「セレンディピティ」という造語の元になったのは、『セレンディプの3人の王子』という童話でした。「セレンディプ」は、いまのスリランカを指す造語です。この童話で、3人の王子たちは、旅をする中で、自分たちが求めていたものではないものに出会います。そのような偶然の出会いが、結果として王子たちに幸運をもたらしました。そのような偶然の幸運に出会う能力を、ウォルポール(注:18世紀のイギリスの作家)は「セレンディピティ」と名づけたのです。

王子たちは、いうなれば、「A」というものを探し求めている旅の途中で、全く異なる「B」に出会い、その結果幸福をつかんでしまったわけです。

このあたりは「へぇ~」という感じですが、さらに読み進めていくと、セレンディピティという力を発揮するコツのようなものが書かれています。

まず、「果報は寝て待て」ではなく、とにかく何か具体的な行動を起こすことが肝心です(「行動」)。3人の王子は何かを「求めて」旅に出ました。もし、何も求めず、また旅にも出ないでじっとしていたら、予想外のものに出会うこともなかったでしょう。

(中略)

第2に、王子たちは、偶然の出会いがあったときに、まずその出会い自体に気づくことができました(「気づき」)。そのような「気づき」は、自分の外で起こっていることや自分が心の中で感じていることに対する注意深い観察力があって、はじめて可能になります。観察は、自分の体験から学ぶプロセスの出発点なのです。

第3に、王子たちは、意外なものとの出会いに際して、自分がそれまでに抱いていた「このようなものが欲しい」という仮説にこだわらずに、素直にその意外なものを受け入れることができました(「受容」)。脳の中にすでにある仮説をダイナミックに修正し、それを自己の中に受容することができてこそ、私たちは体験からの学習を完成させることができるのです。

まとめると、

  • 1.行動する
  • 2.気づく
  • 3.受け入れる

という3つの要素がセレンディピティを高める上でのポイントになりそうです。

上記のように、

  • 1.ある目的を持って行動を起こしたのに、
  • 2.想定外の現実にひるみつつも、意外な出会いに気づき、
  • 3.「これもけっこうイイじゃん!」と受け入れる

ということは頻繁に経験しているものです。

例えば、部屋探し。自分が思い描くような理想通りの部屋はそうそうあるものではないですが、不動産屋を訪ねて図面を凝視したり、物件を見て回ることで、理想とはいえ仮説に過ぎないものが徐々に現実にフィットするものに修正されていきます。

仕事でも、「こういう仕事がしたい!」という理想があっても、なかなかこれにぴったり合う仕事が現実には無い、あるいは見つけるのが困難、だったりしますが、種類の異なる複数の仕事に取り組んでみたり、やり方を変えたりと、いろいろと試してみることで、「意外なところで、意外な方法で、意外な時に」理想が現実になったりします。

まとめ

最後にまとめとして茂木氏の言葉を引用します。

学習とは、教室の中で答えの決まったドリルをやることだけではありません。先に見たように、脳の中の神経細胞の間の結びつきは、常に変化し続けています。脳は、いわばつねに学習し続けているのであり、その中で、「鯉」はやがて「竜」になるような変化が訪れることが実際にあるのです。

学習の機会は、日常生活の思わぬ局面で訪れます。街を歩いていて、ふと耳にした言葉や、集会で偶然出会った人の話。新聞でたまたま目にした記事。家の近所を散歩していて気づいたこと。

日常の行為を繰り返す中で、偶然出会う体験の中に隠れている偶有性を私たちの脳が整理する中で、思わぬ発見がある。その発見が「私」を変えていき、ときには自分自身の人生を変える劇的な変化をもたらす。そのような、人生における絶えざる学習のプロセスの中に埋め込まれているのが、セレンディピティなのです。

今日のように急速に変化する時代には、ある一定の知識を身につけておけばそれで一生十分ということはありえません。むしろ、自分の脳をオープンにしておいて、いつでも生きるうえで必要な何かが入ってくるように、スペースを空けておく必要があります。

「スペースを空けておく」ためには具体的に何をすればよいかについては明示されていませんでしたが、行間から読み取れるところは、

  • 1.時々立ち止まって自分の行動を振り返ってみる
  • 2.当初プランにこだわりすぎず、予定外の“プランB”も柔軟に受け入れてみる

という感じでしょうか。

そういえば、同じ日に『サウンド・オブ・サイレンス』という映画を観たのですが、こちらは内容はぜんぜんセレンディピティではないものの、舞台がニューヨークの冬ということで共通していました。まぁ、これは単なる偶然でしょう。



偶然を活かすコツ

  • 行動、気づく、受け入れる。