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「記憶力」を高めるために記録する



佐々木正悟 逆説的にも、タスクシュートなどのタスク管理ツールや、Evernoteなどのデジタルノートを使ってあらゆる情報を徹底的に管理するのは、記憶力をうまく使うためです。

よくいわれていることでもあるのですが、もう一度整理してみましょう。

繰り返し記録すれば覚えてしまう

岡田斗司夫さんは食べたものを記録しているうちにやせました。

私の知人の何人かは、家計簿をつけているだけで、いくらかお小遣いに余裕が出てきました。

私の友達の1人は、レシートを写真に撮っているだけで、貯金ができています。

行動記録については「メールチェックに30分かかった」という記録そのものよりも、「記録している」という行為にメリットがあると感じています。

記録していると、時間に対して常に意識が向きます。

家計簿をつけているとお金の流れに敏感になるように、行動の記録を取っていると、時間の使い方が気になるようになります。



子供の頃、文字を繰り返し書いたりした人は多いでしょう。

漢字を繰り返し書いた人も多いと思います。

繰り返し記録に取れば、記憶に残っていきます。

タスク管理でも、これと同じことが起きます。

時間帯、コンテクスト、プロジェクトごとに計画を整理し、行動の記録を残す中で、いつ頃に何をすればいいのかについての記憶がどんどん鮮明になっていきます。

頭の中がそうなっている方がプランがうまくいくのは当然です。

むろん正確な記録を見返したり分析したりすることにより、いっそうの効果が上がるとは思います。

とは言えまずは記録を残すことです。

それだけで記憶が整理される。

これは些末なことではありません。

真空ではないからやめなければ始まらない

「私何もやっていない、ダメだ」と自分をやたらと責めることが減りました。

「調べ物を2時間していた」と、時間の使い方が下手な現実を突きつけられることもあるのですけどね。

けれども、本当かどうかわからない想像上のダメな自分よりは、記録に残っているダメな自分の方が、素直に受け止められて、「じゃ、どうしたらいい?」と前向きに考えることができるのです。



朝活であれ、ブログを書き続けるという習慣であれ、その他どんなことであっても、仕事を進める、毎日少しずつやる、というのは非常に非常に難しいことです。

なぜなら「真空の日」というのはないからです。

私達は、全ての時間において、何かをやっています。

しかもそれだけではなく「何かを、それをやる意欲と習慣とともにやっている」のです。

内容が有意義か、くだらないかといったことは、この際関係ありません。

「ダラダラとテレビを見てしまった」と言うとき、人は何となく後から低い評価を下していて、その評価ゆえに「それはやめようと思えばすぐにでもやめられる、やりたいとも何とも思ってなかった無駄な時間」などと見下しがちです。

もっと後になるとこの種の時間は「何もしてなかった」という評価になります。

「私何もやっていない、ダメだ」というわけです。

しかし「何となくダラダラと」というのは自分でそう評価しているだけのことで、事前には「もちろんこの時間にこれからやるのはテレビを見て一休みしないと!そうしないと何もできない」くらいに思っているはずなのです。

つまり「これからダラダラとくだらないことをしてしまって、時間をジャブジャブムダにして、それから強く後悔するぞ!」とは、事前には決して思っていないということです。

何もしていなかった時間というものはありません。

しかしそれだけではないのです。

新しい有意義を始めるには、現在の有意義を諦めるしかない

ほとんどの時間私達は、習慣的に、かなりの妥当性をもって、時を過ごしているものです。

食事の時間は無駄ではないように、言ってみれば「ダラダラと過ごしていた」としてもムダとは言えないのです。

1日は誰にも24時間しかなく、その24時間を、睡眠まで含めれば目一杯使い果たして日々過ごしているのですから「新しい(好ましい)習慣をただ追加する」ということは誰にもできません。

「ブログを書く」のがそんなに大切なら、それと同じくらいに大切な「リラックスできて英気を養え、しかも教養まで身につく有意義なテレビ視聴」を泣く泣く諦める必要があるのです。

「ダラダラテレビはムダ」で「その代わり有意義なブログを書く習慣にする」のだと思えば、そんなことは簡単で、誰にでもできます。

しかし事実はそうではないと、頑として言い張る自分が見つかるはずです。

そんな自分を見つけるためにも記録を残すことです。

そうすればより容易にそのような「テレビ視聴の有意義さを強く主張する自分」が見つかるでしょう。

真空がないどこかの時間帯に新しい行為をスタートさせるには、何か「有意義なこと」を諦めるしかないのです。

それが「もっと有意義なこと」をスタートさせるための第一歩になります。