親切というのは性格ではなく、その人間の決意であり、人づきあいをする上での戦略である。
この一文、素晴らしいと思うでしょうか、それともおぞましいと思うでしょうか?
どちらであるにしても、この一文は人間関係が本質的に難しいということを、よく示していると思います。
親切というのは、決意である
「あの人は親切でいい人だ」とたいていの人から言われる人が、知人や友人に1人くらいはいるでしょう。
今度その「親切な人」に会ったら「この人は他人に親切にしようと、決意しているのだ」と思い起こしてみましょう。
よく「異性との出会いがない」とか「友達を作るのが得意ではない」といって嘆いている方がいます。私もそんなぼやきをよく口にしていました。でもこの一文を読んで以来「少なくとも自分は、努力が全然足りていない」と思い知りました。
他人に親切にすることを決意したりしませんし、性格に反して多大な努力を払ってでもそうしたいと、自分があまり思っていないことに気がついたからです。
ただそれは、必ずしも悪いことではないとも思うのです。というより「自然に振る舞うことが悪である」とは言えないと思うわけです。「他人には親切にする!」常に強く決意している人とは、どんな人でしょう?
本当に親切な人たちであれ、犯罪者であれ…
冒頭の問いに戻ります。
素晴らしい人でしょうか?
それともおぞましい人でしょうか?
冒頭の引用は次のように続きます。
相手をコントロールしようとする人は、出会った当初は必ずと言ってよいほど親切に見える。
引用した本は以下の本です。ここで引用した「相手をコントロールしようと、親切にすることを決意する」者たちは、凶悪な犯罪者たちなのです。もちろん「人に親切にする!」と決意している99%の人たちは、とても人好きのする親切な人たちです。犯罪者ではありません。
この本で言いたいことはつまり、本当に親切な人たちであれ、犯罪者であれ、親切な性格を持って生まれてきたわけではないということなのです。