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論理的に思考して、気分を変えられるか?

今では、一部を除いてあまり知られなくなってしまいましたが、かつて心理療法に、新しい流れをもたらした「論理療法」というものがあります。

この「論理療法」は、見ようによってはとても常識的な考えですが、当時隆盛を誇っていたフロイトの「精神分析」と真っ向から対立する発想だったため、心理学界では恐ろしく「非常識な」考え方とみなされました。

「精神分析」vs.「論理療法」

両者の違いはきわめてはっきりしています。フロイトの精神分析では、無意識下の記憶、情動、衝動に、自意識や言葉や論理はまったく無力であるというモデルがあります。つまり、

無意識 → 自意識
無意識 > 自意識

なのです。無意識の力はとても強く、無意識的に気分が悪くなる「流れ」があったら、「気分をよくしよう」などと「意識的に」努力しても、何にもなりません。たとえば、自分とは「波長」のあわない会社の上司などに痛めつけられると、「気にしなければいい」などと自分に言い聞かせたところで、役には立たないというわけです。

これに対して「論理療法」の考え方では、無意識の力を侮るわけではないけれど、基本概念は、

自意識 → 無意識
自意識 > 無意識

です。つまり、ネガティブな感情に巻き込まれそうになったとしても、そんな感情に巻き込まれたくないと考えれば、ネガティブな感情の流れを押しとどめることができ、意識的にポジティブな気持ちになることも可能だ、というわけです。

そんなの当たり前だ、と思う人もいるかもしれませんが、心理学の世界でこの主張は、「お腹を空かそう」と考えれば、胃が消化活動を急ぐというようなものです。というよりも、当時凝り固まっていた(そして現在も根強い)「心理的観念」のようなものからすれば、これはほとんど「念ずれば太陽を西から昇らせることもできる」というほど、支離滅裂な主張なのです。

実際、「論理療法」の大家であったアルバート・アリスも、自分の主張が「大勢に逆らっている」事を強く意識していて、次のような断り書きを本に書いているほどです。

現代(1970年代)の権威者たちはたいていそんなことはあり得ないというだろう。ジグムント・フロイド、オットー・ランク、あるいはウィルヘルム・ライヒやH・S・サリヴァン、カール・ロジャーズにいわせれば、それは変化が生じるに足る期間(治療が)継続したに違いないと強く主張するだろう。しかしこれらの人々の意見が一致したとしても、それはただ意見の一致があったというだけであって、なにかが証明されたわけではない。
『論理療法』(川島書店)p7

フロイト、オットー・ランク、カール・ロジャーズなどは、現在でも心理学のビッグネームです。明らかに「アルバート・エリス」よりもずっと有名でしょう。しかし私は、エリスの主張の方が、フロイトやロジャーズの主張より、心理療法に実りを多くもたらすと思いますし、私たち一般人にとっては、特にそうだと思うのです。

「自意識」は取り扱い可能

というのも、結局のところ「無意識」に問題があるといわれても、特別な「精神分析技術」でも持っていない限り、私たちにはどうにもできはしませんが、技術ないしは知識を得ることで、自意識から無意識に働きかけることができ、言葉や考え方でもって否定的な感情をコントロールできるなら、これは日常生活で役立つ機会が多いと思うのです。

私自身、無意識の底に住む「賢い老人」や、人生の鍵を握っているという「本当の私」に巡り会う方法は分かりませんが、意識的に考えることを選択したり、非論理的な思考の歪みを矯正することで、自滅的な感情から自分を救い出すことなら、できそうな気がします。(いずれも簡単なことではないのですが)。まさにエリスの「論理療法」は、その方法を提供するものなのです。

もしも否定的な感情の持続が自分自身の思考から生ずるのであれば、なにをどう考え、感情的にどう反応することができるかに関して、われわれは選択の機会を持っているからである。(p46)

訳があまりこなれていませんが、これはなかなか大した主張です。もしこれがその通りなら、私たちは意識の力で緊張しすぎるのをやめにしたり、「論理的に選択する」ことで、仕事の先延ばしを未然に防ぐことができる、ということになるからです。

論理療法について、もっと知りたい方は

エリス, ハーパー
川島書店 ( 1981-10 )
ISBN: 9784761002824
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