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書評『最後の授業 ぼくの命があるうちに』

今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である。

これは、とあるアスリートが座右の銘としている言葉です。今日こうして生きていられることの尊さを思い知らされます。

この言葉を思い出したきっかけは、この本。

DVD付き 最後の授業 ぼくの命があるうちに
ランディ パウシュ, ジェフリー ザスロー
ランダムハウス講談社 ( 2008-06-19 )
ISBN: 9784270003503
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

余命半年/余命無限大

著者であるランディ・パウシュ氏は米国カーネギーメロン大学の教授でコンピュータサイエンスなどが専門。そんな彼が膵臓がんにより、余命半年と宣告される──。

「時間を大切に使え」などと繰り返し教え込まれても、“余命無限大”な我々にとってはピンと来ないものです。あるのが当たり前のものが失われるという危機に瀕して初めて人は行動を起こしますが、危機が対岸の火事である限りは行動は留保されるということです。

パウシュ氏は、「最後の授業」の冒頭で自分の肝臓のCTスキャン画像を見せながら、聴衆に次のように語りかけます。

「ご覧のとおりです。これを変えることはできません。あとはどのように反応するか、決めるだけです」

変えることのできない現実を抱えているのはパウシュ氏だけではないはずです。でも、我々にあってパウシュ氏にないものが一つだけあります。それは時間です。

余命半年のパウシュ氏が反応を改めようと必死になっている時、余命無限大の我々が改めるのは現実との距離です。現実から距離を置くことで、タフな現実に向き合うための「あるべき自分」に近づく努力を放棄して、「あるがままの自分」に逃げ込もうと努めるのです。

これを繰り返していった先にあるものは、「あるべき自分」と「あるがままの自分」の著しい乖離でしょう。

一方、「あるがままの自分」を「あるべき自分」に近づけていくこと、それが行動です。具体的には、反応を改めること。

反応を改める手っ取り早い方法は、言葉の定義を改めること。

例えば、パウシュ氏は次のような再定義を試みています。

 ●経験:求めていたものが手に入らなかった時に、身につくもの
 ●壁:それを真剣に望んでいない人たちを止めるためのもの

この定義に沿って言えば、「経験が足りないからできない」のは、一度試してみてうまくいかなかったのでやめてしまったから、だからできない、ということになります。「うまくいかなかった」という実績が不足しているのです。

「壁に阻まれて前に進めない」のは、自分なら越えられるというサインです。壁にぶつかったということは、それだけ自分が真剣に取り組んでいる証拠といえます。少なくとも、壁のあるところまでたどり着いたわけです。

夢をかなえる/夢をかなえさせる

本書の後半では、夢をかなえること、かなえさせることについて語られています。

 ・夢をかなえる(自動詞)
 ・夢をかなえさせる(他動詞)

「夢をかなえる」は自分自身の夢ですが、「夢をかなえさせる」は後ろに目的語が来ます。つまり、自分以外の誰かの夢です。

多くの人が経験不足や壁の出現を前にリタイヤするする中、パウシュ氏は「あるべき自分」にまっすぐに向き合うことによって、多くの夢をかなえます。

一方、「あるがままの自分」とは、固定観念や常識に縛りつけられた状態といってもいいでしょう。自分で自分を制限している状態です。

これを解き放つのが、夢をかなえさせることの意味になります。

例えば、以下は英国のテレビ番組。携帯電話のセールスマンが得意のオペラを歌って大絶賛を得る、という「夢をかなえさせ」てもらった瞬間です。

彼は、携帯電話のセールスマンという「あるがままの自分」に安住せず、オペラ歌手という「あるべき自分」に向かって、壁に挑み、そして乗り越えたといえます。

現在、あなたの目の前に立ちはだかっているのはどんな壁ですか。そして、それを乗り越えるにはどうすれば良いでしょうか。

本書の中に、そのヒントを見つけることができるはずです。

DVD付き 最後の授業 ぼくの命があるうちに
ランディ パウシュ, ジェフリー ザスロー
ランダムハウス講談社 ( 2008-06-19 )
ISBN: 9784270003503
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