前回の続きです。
日興證券株式会社(現SMBC日興證券株式会社)の証券マンからキャリアをスタートさせた私は、入社3年目からニューヨーク、シドニー、ジャカルタと海外支点を転戦します。
このあたりの経緯については拙著『BUY SIDE ADVISOR』で詳しく書いていますので、ここでは割愛させていただき、今回は私にとってのターニングポイントになった外資系証券会社への転職についてご紹介します。
外資系証券会社への転職
私は外資系証券会社に転職しようと決めました。
いまでこそ、外資系は就職や転職の選択肢として当たり前になっていますが、その当時はかなりのレアケースです。
単純な例ですが、日本人はサンドウィッチのミックスサンドというと勝手に出てくるものと思っていますが、欧米ではミックスサンドというメニューはなく、パンにマヨネーズなどを塗り、具を乗せるところまで自分で指定してたったひとつのミックスサンドウィッチを作るのが一般的です。
海外生活が長いとはいえ、他者の意向よりも自らの意志がモノを言う生活にはさほど慣れていませんでしたので、健康保険はどうなるのか、成績があがらなくても収入保証はあるのか、できなかったらゼロか、退職金はあるのだろうか、家族を養っていけるのだろうか──などと、様々な不安を抱えていました。
インドネシア → シンガポール → インドネシア
とはいえ、退職を決意した以上は、やるしかありません。腹をくくった私は、最終的にイギリスのスミス・ニューコートとアメリカのペイン・ウェバーという2つの外資系証券会社から内定をいただくことができました。
顧客であった機関投資家のファンドマネージャーに相談したところ、スミス・ニューコートのほうがリサーチがよいというので、そのアドバイスに従って転職し、シンガポールで働くことになりました。
スミス・ニューコートは、その後すぐにメリルリンチに買収されてしまうのですが、評判通りのリサーチ力を誇る会社で、当時の同僚の多くとはいまでも交流があり、それがいかに短くも、充実した時間を過ごしたのかを証明してくれているように思います。
その後、スミス・ニューコートが買収された際に、クビにならずにそのままメリルリンチに転職することができた私は、引き続きシンガポールで働くことになりました。
そして、メリルリンチがインドネシアに支店を作ることになり、日興證券での経験を買われ、その営業責任者として赴任することになったのです。再びインドネシアに戻った形ですが、今度は一人ではなく、アメリカ人やイギリス人の同僚と一緒に営業チームを立ちあげました。
結果として、メリルリンチをインドネシアでトップを争うポジションに押しあげることに成功しましたが、日興時代にゼロから築いた人脈によるものが大きかったと思います。
日本へ帰国、メリルリンチを退社
インドネシアで非常に充実した生活を送っていた私は、1998年に日本に転勤することになります。
メリルリンチ インドネシアに不満があったわけではなく、日本での赴任先は、経営破綻した山一證券の店舗と従業員の多くを引き受ける形で設立された、メリルリンチ日本証券です。
そのとき私は、結婚して子どもがおり、大きくなってきた子どもに日本の教育を受けさせたいと思い、転勤を希望しました。
帰国後は、ゼロから富裕層の個人投資家の開拓に励みました。
つかの間の平穏
それからしばらくは、商品の押し付けもなければ、ノルマもなく、引き続き気持ちよく仕事をすることができました。
ちなみに、ノルマがないとはいえ、当然何もせずに報酬を得られるわけではありませんが、外資系らしい特徴として、報酬の明確なシステムを提示されるのです。そして「あなたの報酬はこのようにして決まりますが、やるもやらないもあなたの自由ですよ」と伝えられます。
さすがにまったく仕事をしなければクビになってしまうのでしょうが、基本的には仕事量を自分の裁量で決めることができます。
そして、個々のアドバイザーが、どのようにしてお客様を作るのか、何を薦めるのかといったことに頭を悩ませながら仕事をしていくことになります。新入社員などに最低限のトレーニングの機会はありますが、原則的に外資系は自己責任。自分で勉強し、成長していくことが求められます。
私はある程度、仕事のいろはを学んだ状態で外資系に転職したので伸び伸びと働くことができましたが、あれこれと上司が口を出してくる日系のやり方のほうが成長できるタイプのアドバイザーもいるでしょうから、このような点は一長一短かもしれません。
ともあれ、私としては新しい個人投資家のお客様と多数出会うことができ、自らの知見を広げながら楽しく働くことができていました。
しかしそのような日々に、徐々に影が差してきます。
ある頃から、後に大きな社会問題となった、仕組債の販売が始まりました。これは個人的にも、独立への大きな引き金となった出来事でした。
「井上さんは仕組債を売らないでよく数字をあげているね」
仕組債の最大の問題はその複雑すぎる構造です。投資家どころか、生半可な知識ではアドバイザーですら理解しきれない商品も存在します。
今日、仕組債に関して数々の訴訟が起こされていますが、それらのほとんどが説明責任を問うもので、仕組債自体に問題があるわけではないのです。
現在は金融庁から販売業者への監督指針で、デリバティブ取引に関して、想定される最大のリスクについて、顧客が理解できるように説明することが明文化されていますが、アドバイザーが複雑な商品をお客様にしっかりと説明せず、複雑なまま売ってしまったがために、このような問題が起こってしまったのです。
複雑な商品が悪いとは言いませんが、せめて簡単なところまで翻訳してお客様ご自身にリスクとリターンを天秤にかけて選んでいただける状態にする必要があったように思います。
仕組債の小口販売は、外資系のみならず、国内の証券会社も取り扱うようになっていきました。
私は次第に、金融業界の方向性が、間違っているのではないかと考えるようになりました。アドバイザーとしての私のモットーは、デジタルよりもアナログというもので、複雑な商品を扱わずとも運用できると考えていました。
社会問題化する以前から、私自身は個人投資家に少額で売るようなことはしたくないと考え、仕組債の販売はほとんど行ないませんでした。
同僚に「井上さんは仕組債を売らないでよく数字をあげているね」と言われたこともありましたが、ずっと嫌な予感を抱えていました。
数字に追われずに仕事のできる環境の重要性を再認識した私は、2005年にメリルリンチを退職。バイサイドアドバイザーとして独立するべく準備を開始します。
次回は、紆余曲折を経て私がたどり着いた天職である「バイサイドアドバイザー」について改めて詳しく解説します。
▼井上正明:
Avalon株式会社代表取締役兼CEO。
1959年兵庫県生まれ。香川大学卒業。
日興証券、日興証券ニューヨーク支店、日興証券シドニー支店、日興証券インドネシア支店、その後外資系証券であるメリルリンチシンガポール支店、帰国後メリルリンチ日本証券、独立系FP事務所にてFP業務を経て、現在は、独立し、富裕層向けにバイサイドの資産運用アドバイスを行う。