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メモする習慣の始まり

notes
photo credit: nffcnnr via photopin cc

倉下忠憲
皆さんは、メモ帳をお持ちでしょうか。

ミニノートや手帳など呼び方はいくつもありますが、何かを思いついたときにすぐに書き付けられるツールを持っておくのは知的生産において非常に重要です。もちろん、スマートフォンだってその役割を果たしてくれるでしょう。

私もスマートフォンユーザーではありますが、ミニノートも携帯するようにしています。しかも、常に、必ずです。

今使っているのは、某ハードカバーノートに見た目がそっくりの別のノート(※)で、アイデアを書き記すために使っています。あるいは、思考の足跡を残すために使っている、と言い換えられるかもしれません。

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※こういうやつです。

振り返ってみると、18歳ぐらいからこうしたミニノートを持ち歩いていました。


そこに書いていたこと

そのノートには、「タスク」と呼ばれるようなものも書いていましたが、大半は考えていることの吐き出しです。文章化することで、頭が整理され、気持ちがスッキリとしてきます。書きながら、考える。これを実践していました。

今でも、こうしたミニノートは「考える」ための場所です。

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考えるための場所を、しっかりと確保しておけば、モヤモヤを長期的に引きずることは少なくなりますし、大切な着想を逃すこともありません。

しかしながら、こうしたミニノートに記入を続けることには、違った面白さもあります。

「忘れたこと」を発見する

その面白さは、「見返し」の時に湧き上がってきます。つまり、ミニノートを書き尽くし、しばらく後にそれを読み返す瞬間です。

別段ナルシストでなくても、過去の自分が面白いと感じたものは、今の自分でも面白く感じられるでしょう。そういう意味で、ミニノートの読み返しは、興味深い小冊子を読んでいるのに近い印象があります。

が、それよりも面白いのは、書いてあることの大半を今の自分がまるっと忘れているという事実です。つまり、自分の記憶力のなさに直面させられてしまうのです。

おそらく多くの人が、「自分の記憶力はそれほど悪くない」と考えているでしょう。確かに、多くの人は平均的な記憶力を有しておられると思います。問題は、その平均的な記憶力というのが、かなり低いレベルだ、ということです。

もちろんそれでも日常生活を回していく分には問題ありません。ただ、たくさんの事柄が頭の中から抜け落ちてしまっていることも確かです。普段は、そういう事実に気がつかず、自分の記憶力は問題ない、メモなんか必要ない、という解釈をしてしまいがちです。

メモノートを見返していると、いかに自分が忘れているのかと共に、こうして記録をして見返さなければ、忘れていたことにすら気がつかなかった、という思いにぶつかります。

さいごに

一度そういう経験をすると、誰かに言われなくても積極的にメモを取るようになります。なんといっても、自分の記憶が信頼できないのですから、それも当然でしょう。

こうしてメモするツールは、私の相棒になりました。もちろん、それと共にメモする行動も私の自然な習慣の一つになっています。

▼今週の一冊:

データをふんだんに使って、スポーツ界に流通している「常識」に疑いをかけてみよう、というのがテーマの一冊です。なかなか型破りというか、挑戦的な仮説がいくつも登場します。

3割バッターと2割9分9厘バッターの差、チームがホームでプレイしたときの有利さ、「波」の存在の有無など、面白い話がいろいろあります。第8章の「ミスター・ルーニーありがとう」や第14章の「なぜ、ステロイドに手を出してしまうのか?」あたりは『ヤバイ経済学』を彷彿とさせます。

ただ、スポーツについてある程度の「基礎知識」がないとちょっと読みにくいかもしれません。その辺はご注意を。

» オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く


» ヤバい経済学 [増補改訂版]


▼編集後記:
倉下忠憲



書いては消し、消してはまた書きを繰り返して、ようやく今書いている本の第一章が固まり始めました。一度見つけたらその後はサクサク進むのですが、文章の息づかいを発見するまでに結構時間がかかります。これは(いまのところ)どうしようもない感じですね。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。