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アイデアを生み出す力と無意識



倉下忠憲

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」

ジェームス.W.ヤングの『アイデアのつくり方』に登場する有名なアイデアの原理です。

» アイデアのつくり方


ヤングはこうも書いています。

既存の要素を新しい組み合わせに導く才能は、物事の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい。

重要なのは「物事の関連性を見つけ出す才能」という部分でしょう。これが卓越している人は「頭が柔らかい」と言われますし、逆に下手な人は「頭が固い」と言われます。

しかしその表現は、実際の頭の硬度(頭突きの強さ)を意味しているわけではありません。

では、一体何を意味しているのでしょうか。

アイデアではないもの

まずは、「アイデアではないもの」を考えてみましょう。それは「既存の要素の既存の組み合わせ」です。

たとえば、コーヒーがあり、コーヒーカップがあるとしましょう。これは既存の要素の、既存の組み合わせです。もちろん、アイデアではありません。私たちが、ごく普通に親しんでいるものであり、関連性を感じるものであり、脳内でニューロンが同時に発火するものであります。つまり、自然に連想するものです。

逆に言えば、アイデアは以上のようなものではないものです。

たとえば、コーヒーがあり、もう片方にシチューのパイ包みがあるとしましょう。これは、既存の要素ですが、既存の組み合わせではなさそうです。アイデアの可能性があるかもしれません。

この二つの組み合わせは、あまり馴染みがないものですし、関連性も感じません。脳内でニューロンが同時に発火することも少ないでしょうし、すなわち自然には連想できなさそうです。

よって、パイ生地などでコーヒーカップを包み、それスプーンで割りながら飲むコーヒーというのは__この原稿を書きながら適当に考えました__アイデアと言えそうです。少なくとも検討の余地はあるでしょう。

つまり、一般的に認められる「関連性」が無いところに、「関連性」を見い出せる力が、アイデアを生み出すための素地になります。

固いリンクが妨げるもの

Aという要素があったときに、それとは「関連性」がないXという要素を思い浮かべられる力。それが「頭の柔らかさ」です。

逆に「頭が固い」人は、Aという要素を思い浮かべたら、(一般的に関連性が認められている)Bしか思い浮かべれません。A:Bは、他の多くの人が思い浮かべることなので、それはアイデアにはならないわけです。

A:Bという結びつき(リンク)が強ければ強いほど、アイデアの可能性は疎外されますし__一般的に人が同時に思い浮かべられるものの数には上限があります__、それが極端になれば「思い込み」という状態になります。こうなってしまえば、アイデアが生まれてくる余地はほとんどありません。

その点から考えてみると、発想法と呼ばれるものの多くは、一時的にこのリンク関係を無視して思考を促すものです。

しりとり発想法などはその代表例ですが、自然の連想では決して横に並ばないものを横に並べて、「さて、どうするか?」と考えてみることで、新しいニューロンのつながりが期待できます。

意識の余韻が無意識に響く

ここで、マイケル・コーバリスの『意識と無意識のあいだ』を引いてみましょう。本書では、「ぼーっとしているとき」に人間の脳では何が起きているのかが紹介されています。

» 意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)


当初、安静時の脳の活動は神経的な背景雑音で、古いラジオの雑音のようなものだと考えられていた。(中略)ところが、何もしてない脳へ流れる血液の量は作業中の脳の場合よりわずか五~一○パーセント少ないだけで、作業中よりも作業中でないときのほうが脳内ではより広い領域が活性化していることがわかった。

非常に面白い知見です。私たちが何かについて集中的に考えているとき、脳内で活発になるのは特定の限られた領域です。これは感覚的にも理解できます。

ポイントは、そうして集中的に考えていないとき、つまり平常時においても脳は活発に活動しており、しかもその領域が全体に渡っている点です。

よく、「ものすごく考え込んでも全然アイデアが見つからなかったけど、その後ふらふらと散歩していたら突然閃いた」といったエピソードを見聞きします。自分の体験としてもあります。おそらくこの体験は、集中時と平常時の脳の活動領域の違いに力点があるのではないでしょうか。

何かに集中していない状態は、脳の全体的な領域が活発になっています。脳内の記憶がどのように管理されているかは定かではありませんが、こういう状態であれば記憶のさまざまな部分にアクセスできる可能性が想定できます。つまり、コーヒーとシチューのパイ包みです。

コーヒーについて集中的に考えると、コーヒーから自然に連想される部分が活発になるでしょう。しかし、それだけではシチューのパイ包みにはアクセスできません。そこで、ふと集中をきって平常に戻る。すると、脳の活動領域が全体に広がり、自然な連想ではまず出てこないシチューのパイ包みへのアクセスルートが生まれる。でも、まだそのときには集中時の余韻が残っており、そこで「自然な連想」外の結びつきが発生する。

こんな理屈です。

もちろん科学的根拠はないただの思い付きではありますが、二つの状態(集中時・平常時)の脳の違いに注意を払っておくと良い発想が生まれてくるかもしれません。

さいごに

おそらく、発想を促すためには、二つの領域を行き来することが肝心なのでしょう。

何も問題意識がなければ、そもそも発想が発生しません。しかし、問題にだけ集中していても、アイデア__「自然な連想」外の結びつき__の発生にはなかなかつながらないわけです。

二つの領域を行ったり来たりするなかで、閃きというものが舞い降りてくるのでしょう。意識の力。無意識の力。この二つの力を意識しておきたいところです。

» アイデアのつくり方


» 意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)


▼今週の一冊:

古い新書ではありますが、今読んでも非常にためになります。むしろ「科学」というものがいかにも絶対的な力を持っているように思われがちな現代だからこそ、その方法や限界性を知っておくことは重要でしょう。「科学の限界」「測定の精度」「解ける問題と解けない問題」など面白い話がいっぱいです。

» 科学の方法 (岩波新書 青版 313)


▼編集後記:
倉下忠憲



いよいよ大詰めです。似たようなことを何度か書いている気もしますが、今度は本当に大詰めです。2月辺りには何かしら発表できるかと。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

» 知的生産とその技術 Classic10選[Kindle版]