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文章は「書き始めば、書ける」とよく言われます。
頭の中だけで考えている間は、イメージだけが膨らんでいき、原稿は全く進みません。それは文字数が一つも増えていないという意味に加えて、文章化してみないとわからないことが多い、という要素もあります。
じゃあ、書き始めれば最初から終わりまでスラスラ書き進められるかというと、そううまくはいかないでしょう。どこかの時点で「うむむ」と行き詰まってしまうことはよくあります(少なくとも私は)。
「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という」
とアインシュタインは言いましたが、「うむむ」な状態で同じことを繰り返しても効果が上がらないことは容易に想像できます。
そういう時には、別の手を打つ必要があるでしょう。今回は3つの打開策を紹介してみます。
箇条書きでとっかかりを作る
言い回し、表現、文の接続、話の流れ、といったことを先に考えすぎてしまって、手が止まることがあります。
本来は後で考えれば良いことなのですが、服にシワが付くように、思考にも偏った固定化が生まれ、なかなか文の内容そのものに集中できなくなってしまう状況です。
そういう時は、まず箇条書きで言いたいことを並べてしまいましょう。
文章を書き始める前の段階で、アウトラインとして箇条書きで要素を並べる手法もありますが、これは文章を書いている最中でも有効です。箇条書きであれば、ややこしいことを考える要素は入り込みません。気軽に言いたいことを並べていけます。
そうして書いたものを、少しずつ肉付けして文章にしていく。その過程で、思考の硬さがほぐれてきて、文章に流れが戻ってきます。
フリーライティングでストレッチ
これも箇条書きと方向性は似ています。
ようは「まともな文章」を書こうとするから、手が止まるのです。
手が止まって、時間が経てば、ますます最初の一文字を打つのが億劫に(あるいは恐怖に)感じられてしまいます。
そういう時には、とにかく今その時心に浮かんでいることを書き出してしまいましょう。内容に関係あることでも、無いことでも気にしません。5分や10分と時間を決めて、ただひたすらにペンを走らせる(あるいはキーボードを叩く)。ただ、それだけです。
それでも、思考を文字に移し替えていると、先ほどまでの億劫さ(あるいは恐怖感)は徐々に色あせていきます。
書き出したものの大半は削除されることになるでしょうが(Evernoteに保存してもよい)、中にはきらりと光る一文が見つかるかもしれません。そうなったら文章書きにさらに弾みが付くことでしょう。
誰かに説明してみる
こちらは文章とは別のアプローチ。
行き詰まった段階で「言いたいこと」がもやもやした感じがあるのならば、他の誰かに口頭で説明してみるのも一手です。
話して説明する場合、「文章」に関するややこしい要素を考える必要がなくなります。順番が前後しても、言い回しが多少おかしくても説明を進めることは可能です。とりあえず説明を進めていくうちに、文章に必要な要素が見えてきて、書くべきことが見出せることもあるでしょう。
そうでなくても、もやもやした感じはぐっと減らせるようになります。
口頭で説明するような相手がいない場合は、チャットやTwitterで代用できるかもしれません。
さいごに
「文章化」に行き詰まったら、別ルートを辿ってみる、というのが基本的な打開策です。今回紹介した方法以外の打開策もきっとあることでしょう。
文章について考えれば考えるほど、文章そのものが書けなくなってしまうというのはなかなか皮肉なものです。それは内容から目が逸れて、形式に注目してしまうからかもしれません。あるいは、自分の文章が下手とか表現がつたないといった、文章とは直接関係のないことに心奪われてしまうからかもしれません。
とにかく、視点を(強制的にでも)動かすことが必要です。
もちろん、その日5時間以上も原稿を書いていて行き詰まっているのならば、それはもう休んだ方が良いでしょう。
▼今週の一冊:
実用性のじの字もありませんが、非常に楽しい本です。私たちの日常生活を一つのとっかかりにして、さまざまな哲学的考察が繰り広げられていきます。その中で、名だたる哲学者の名前とその思想に触れることもできます。
哲学史としては中途半端ですし、子供向けとしては内容が難しすぎる本ではありますが、「哲学する」というのがどういうことなのかを体感できる本と言えるかもしれません。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。