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「楽しさドリブン」という生き方〜高野聖玄さんとランチオン!

心が折れるという感覚がないんですよね。

総合情報誌・FACTA(ファクタ)で主にデジタルメディア事業を担当されている高野聖玄(たかの・せいげん)さんとランチしてきました。

高野さんのユニークネスはその“色とりどり”のキャリア。「青」から始まって「黒」を経て「白」へ。その後も、折に触れ、必要に応じて、迷うことなく“青”に戻ります。

ということで、高野さんの“色歴”(しょくれき)を見ていきます。

無色時代

理系家族のもとに生まれた高野さんは、自由気ままな少年時代を過ごし、横浜の私立高校へ。ちなみに、この学校は野球選手をはじめ、スポーツ選手を沢山輩出していることで有名ですが、特にスポーツには興味を持てなかったようです。

その後、なりゆきで都内の某私立大学に進学したものの、目的を見いだせずに7日だけ通って大学生活を終えます。

青から黒へ

そうして空いた時間は“食べるため”に工事現場での肉体労働(ブルーカラー)に精をだします。肉体労働を選んだ理由は「作業着が着たかった」から。

半年ほど続けたところで、知り合いが楽しそうに働いている、という理由でいわゆる黒服の仕事(ボーイ)へ。

黒から白へ

ボーイの仕事も半年ほど続けますが、ふと「昼間にスーツを着る仕事がしたい」と思い立ち“白服”に転身します。時はネットバブル崩壊前夜。飛び込んだ先はイケイケで有名な営業会社でした。

白と青のストライプ

その仕事も半年ほどで“卒業”し、今度はフリーランスのウェブデザイナーとして活動を始めます。とはいえ、最初は仕事がほとんどありませんから日中は再び工事現場で日銭を稼ぎ、夜はパソコンに向かうという白と青のストライプな日々。

“漂白”の出来事

そんな白と青の間を行ったり来たりしていた高野さんですが、2001年9月11日を境に白一色で行く覚悟を決めます。

晩は早く寝て翌日は早くから現場に向かうという毎日を過ごしていた高野さんにとって、テレビや新聞に触れる時間は限られていました。その日も、早朝から現場に赴き、途中、電車の中で目にした、倒壊せんとするビルの写真が掲載されたスポーツ新聞も「何かの映画の宣伝かな?」とさして気にもとめずにいました。

日中の作業を終えて帰宅し、テレビをつけてみて初めて、それが映画ではなかったことを知らされます。同時に、高野さんは情報から隔絶されていることの恐さを思い知らされ、関心は情報の送り手であるメディアに向かいます。

その後は、ビジネス誌のオンライン担当などを経て、2005年11月からFACTAの立ち上げに参画することになります。

刺激を求めて渡り歩く

このように、高野さんのキャリアはお世辞にも計画的とはいえません。そんな中で、僕が強く心を惹かれたのは高野さんの次の一言。

心が折れるという感覚がないんですよね。

どんなにその仕事が辛くても、あるいはやむを得ず無茶をすることになったとしても、もともとその仕事は自分で選んだものだから、というのがその理由。

職業を転々としながらも、高野さんの中には次のようなゆるやかな基準がありました。

 ・今の仕事よりも楽しいか?
 ・今の仕事よりも刺激的か?

その仕事に将来性があるからとか、儲かるから、という外的な要因よりも、自分がどうなのかを常に考えて動いているわけです。

言ってみれば、大まかな方向性だけは持ちつつ、目の前にチャンスの波がやってくればためらうことなく乗りに行き、次の波が来ても迷わず立ち向かう、という「楽しさドリブン」とでもいうべき行動スタイルといえます。

この話を聞きながら、ふと6年前に読んだ「意志決定のフレームワーク」というノートを思い出しました(これを書いたのは『リストのチカラ』著者の堀内浩二さん)。

私たちは既に社会に出て、会社で、家庭で、一定の役割を負ってしまっているわけですから、「方角を決めてから一歩を踏み出す」というよりは「走りながら行き先を決める」ことの方がはるかに多いと思います。前述したように選択肢も情報も豊富な時代です。考える間もなく「刺激」が与えられ、それに反応していくことで精一杯というのが実際のところではないでしょうか。図2にそんな状況を模式化してみました。

ということで掲げられているのが次の図(堀内さんより許諾いただき転載)。

三角形のトゲが、外から与えられる「刺激」です。急に舞い込んだ転職の誘い・異動の辞令・部下の退職、更には突然の病気や計画外の出産(結婚も?)などなど。人並みに要領よくこなしていくだけでも時間が足りない状況の中、限られた時間と情報で選択を重ねていかなければなりません。そのせわしない選択の基準が、自分でもよく分かってない「自分」だとすれば、後から振り返って「どうして転職しちゃったんだろう・・・」となるのも無理はありません。

これに対して、「『「刺激』を受けながらも、主導権は自分が握っている様子」を描いたのが次の図。

同じようにトゲが当たって来ていますが、2つ目の刺激を受けても図2とは流される角度が違っています。スマイル君はここで「ありたい自分」と相談し、なるべく自分が望ましい(「ありたい自分に沿っている」)と思えるような対応をしました。

高野さんの行動スタイルはまさに、この「スマイル君」とそっくりです。「楽しいか? 刺激的か?」という基準をクリアできた(=ありたい自分に沿っている)とき初めて、刺激に反応して動いているのです。

放っておくと人は「自分はこうだから」という枠を自分にはめ込んで、その中であらゆることを完結させようとしがちです。もちろん、それは「自分」を保つための必然ともいえる行動様式なのですが、それにとらわれすぎることは必ずしも良い結果を生むとは限りません。

留学を思い立つと同時にアメリカ行きの飛行機に飛び乗った平川理恵さんや、サッカーがもっとうまくなりたいという理由で南米チリへサッカー留学に旅立った小川慶一さんのことが思い浮かびます。

彼らの生き方に共通するのは、こちらでご紹介した『自分をグローバル化する仕事術』における以下のスタンスです。

5.判断の基準を、周囲がどうしているかではなく、自分がどうしたいかに置いているか?(p.74)
6.考える前に行動しているか、少なくとも行動しようとしているか?(p.88)
7.やる前に考えすぎていないか?(p.124)
8.「チャンス!」とあらば、すぐに動き出せるか?(p.159)
9.前例がないことを理由にチャンスを見送っていないか?(p.188)

あなたは、大きな決断を下すときに参照している信頼に足る基準を持っていますか?




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