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「習慣」はいつの間にか習慣になっている

よい習慣を作り、悪い習慣を脱する。
これは、古くて新しいテーマで、難しいテーマでもあります。難しいですが、不可能というわけでもありません。

たとえば、禁煙。難しいといわれていますが、成功する人もたくさんいます。
あるいは、ブログを書く習慣。一週間程度続けるだけなら、どうということもないですが、1年、2年と習慣にするとなると、なかなか難しく、かくいう私も何度も挫折しました。でも続いている人もたくさんいます。

そのブログ、とりあえず1年前後続けていると、質問を受けることもあります。「どうやって続けられたのですか?」と。

私はなるべくこういった質問には、正直に答えようと思うのですが、正直に答えようとすると、固まってしまいます。正直に言うと「よく覚えていない」のです。

考えてみると、よい習慣であれ、悪癖であれ、習慣に関してうまくいったものというのは、ほとんどが記憶に残っていないという妙な特徴があります。だから、習慣形成系の本というのは、書くのが難しいのではないだろうか、と思ってしまうほどです。

子供の頃、シートベルトを締めるのがいやでした。でも今は、当然のように締めています。なぜ、いつ締めるようになったのか、よく覚えていません。

また、今ではかなり実践の難しい、食事療法を実践できています。これは私の持病があったからできたというわけで、理由ははっきりしています。しかし、成功するには何度も挫折しました。最後に挫折を乗り越えられたのは、本当のところなぜだったのか、どうもよく思い出せません。

最近私は思うのですが、「習慣」を作ったり脱したりするには、覚えていないというような心理状態でやるのが、最善なのではないかという気がするんです。初めはこれは、自分の特殊事情かと思っていたのですが、どうも、たとえば禁煙に成功した父に「心がけたこと」を尋ねてみても、「覚えていない。ただ、やめた気がする」といったところなのです。

さらに、私の知人に65歳で、フルマラソンに挑戦するほど、すごい「マラソンマニア」がいらっしゃるのですが、どうしてその年でそれほど走れるのか、マラソンを続けられるようになったきっかけは何だったのか、聞いてみたことがあります。しかしやはり、ある意味でははかばかしくないお答えでした。「好きだったんだろうね…たぶん」何とも、まるで他人事のようです。

こうした話を聞く内に、習慣形成に重要なことは、情緒をむしろ鎮静させることではないか、という気がしてきます。情動が活発化したときのことは、よく覚えています。でもよく覚えていることは、習慣を形成できたことではなく、むしろ習慣形成に挫折したことのような気がするのです。つまり、

・習慣形成に意気込む→情動が活発になる→…よく覚えているが失敗した
・何となく始めてみる→情動が平静→…習慣形成に成功したがよく覚えていない

こういうことではないかと、個人的に思うわけです。