時間は製造できません。24時間は、やり方によっては25時間にも、48時間にもできる、という言い方がありますが、実質的には比喩でしかありません。
時間を「作る」ことや「増やす」ことができない以上、時間との戦い方は二つしかないように思えます。
1 作業ペースを速める
2 やることを減らす
今回の話は、1ではなくて、2の方です。「やることを減らす」ことで、「時間を増やした感じ」を手に入れることです。
これもよくある比喩ですが、ひとまず時間を空間と置き換えます。それも自宅や自分の部屋という空間で、置き換えます。
哀しい、と言っていいことだと思いますが、時間を増やすことができないのに似て、自宅の空間を増やすことも、なかなかできません。自室の空間も、増やせません。できることといえば、
1 作業スペースが小さくてすむようにがんばる
2 モノを減らす
のどちらかになります。
時間に対してやることを減らすことと、空間に対してモノを減らすことの、心理的効果はよく似ています。それは、「有る」ことによって押しつけられる苦しさが、「無くなる」ことによって、えらく得したような気持ちになれるところです。
「ヤツがいなくなって、せいせいした!」といった感じでしょうか。
最近かなり忙しくなり、「時間簿」をしつこく綿密にノートし、「使途不明時間」を削りに削っています。そうして「やるべきこと以外は極力何もしない」という時間の使い方を推し進めていくうちに、面白い心理現象が起こりました。
時計の針の角度が、「目に見えて」大きく感じられたのです。ちょうど、16:08に仕事が終わって、次の仕事は16:20からとなっていたのですが、「うわっ!ずいぶん空きが大きいな!」と実感されたのです。
この状態を続けたいとは思いませんし、私などには続けることなどできませんが、こういう感覚でずっと生きている、時間の価値が非常に高い人も、この世にはいるんだろうな…と、ふと思いました。
私自身はまた数週間もすれば、小さな時計の世界に舞い戻っていくと思いますが…。