今年の3月15日(火)の池谷裕二さんのツイートより。
脳は約1500人を識別できるそうです。ただし付き合いを維持できるのは約150人(ダンバーの数)。ちなみに知り合いの数は平均500人。うち友人は40~50人、身近な人は12~15人、親密な人は2~5人だとか。先週の『ネイチャー』誌より→https://t.co/5x4HODDIl7
— 池谷裕二 (@yuji_ikegaya) 2016年3月15日
僕には親密な人は5人もいないかも…。
それはいいとして、友だちってなんだろう。
ともだちといえば「20世紀少年」をまた観たくなった。
マンガもいいけど映画もまたいいのです。
3部作だけど途中でさほどだれずに作りこまれていて。
何よりも役者が良い。
貨幣空間で生き残るために
そういえば橘玲さんが『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』の中で以下のようなことを書かれていて、確かに不思議なものだなと思った。
友だちは、小学校・中学校・高校(幼稚園や大学でもいいけど)の同級生の間でしか結ばれないきわめて特殊な人間関係だ。学年がひとつちがうだけで、先輩や後輩と呼ばれるようになり、純粋な友情は成立しなくなる。
さらに友だちには、世代ごとに切り分けられ、互いに交じり合うことがないという、もうひとつの際立った特徴がある、中学校に進んで新しい友だち関係ができても、ふつうは小学校の友だちを紹介したりしない。
ふだんは意識していないけれど、ぼくたちはみんな、友だちのこうした排他性に気づいている。『20世紀少年』の物語には、秘密基地で遊んだ小学校の同級生以外の、“別の”友だちは出てきてはいけないのだ。(p.111)
本書では、この後に「木更津キャッツアイ」に言及したうえで、「友だち」というものの本質に迫り、そこから愛情空間・友情空間・貨幣空間という3つの空間について論じる。
特に貨幣空間のとらえ方が非常に興味深い。
貨幣空間と対称的な空間として政治空間における権力ゲームが例に挙げられている。権力ゲームが「ほとんどのプレイヤーが敗者として淘汰されていくきわめて割の悪いゲーム」であり、「男女や親子の愛憎」なども絡む複雑さを呈するのに対して、貨幣空間はきわめてシンプルである、という。
そこから囚人のジレンマ、日本人とアメリカ人、アラブ人とユダヤ人の比較などを経て、金持ちと貧乏人の話になり、ふたたび政治空間と貨幣空間に戻ってくる。
面白いのが、「政治空間(搾取)よりも貨幣空間(交易)ではるかに大きな富が創造されている」という指摘。
大きな富を得たければ、複雑な政治空間での権力ゲームにいそしむのはやめて、シンプルな貨幣空間でのゲームに習熟したほうがいい、というわけ。
貨幣空間でのゲームで勝つのは、
- 顧客に対して誠実である
- 公平である
- 差別しない
といった美徳を体現しつつ、「楽天的で他人を信用し、その一方で嘘を見抜くのがうまく情に流されない」人である、という。
その典型例として、「権力ゲームの勝者ではなく、貨幣空間のトリックスター」の孫正義氏が挙げられている。
お金持ちは「誰とでも積極的につき合い、ビジネスを拡大しようとする」のに対して、貧乏人は狭いムラ社会から出ようとせず、せっかくのビジネスチャンスを逃してしまう」と。
途中の、国民性比較みたいな論は何の意味があったのかと思ったが、最後にこの伏線がきちんと回収されていた。
人間関係というものを閉鎖的な「友だち」とは別の次元で捉えないと、生き残れない。
ただ、映画やドラマを観ていてつくづく思うのは、貨幣空間だけで成功している人の話はきわめて面白くない、ということ。
結局は権力ゲームが混じらないと、すなわち不誠実や不公平や差別がまかり通る空間で、のし上がったり、蹴落とされたり、といった要素が欠かせない。
そういう物語を求める人の心を知悉する人が、そういう物語を淡々と紡ぎ続けられる人が、貨幣空間で生き残れる。