私たちは通常、文章を書いたり人と話をしたりするとき文末まで考えていない。そのため、書いて(話して)いるうちに、自分でも思いがけない言葉が出てきたりもする。頭の中でぼんやりと考えているだけでは出てこない言葉が、文章化することによってどんどん出てくるのだ。
文章化することによって、頭の中で混沌としていた物事が整理され、潜在意識にあるものが顕在化してくるといってもいい。
さらに、書くということは、観察力を養うことにもつながる。
日記を書きはじめると、「日記に書こう」という意識が出てくるので、見たもの聞いたものに注意を払うようになる。気にしていないとあとで書けないからだ。
著名人のインタビュー記事を読んでいると、「今回の新作では、意外な一面を見せられましたね」といった疑問文になっていない“質問”に出くわすことがある。
振られた方はインタビュアーの意向を適切に(適当に)解釈して、それなりの答えを返すわけだが、実際にこのような“質問”にさらされる機会を持つことは有益なことが多い。
聞かれれば答えられるのに、自分一人では思いつかないこと。それを引き出してもらえる。
形の上で明示的な質問になっていなくても、それを足がかりにして自分の中から何かを引き出すことはできる。質問の形になっている方がより焦点を絞ることができるので、なおよい。
他人との掛け合いでなくとも、自問することで同じような効果が得られる。例えば、観察を通して、感想を持つだけにとどまらず、それに対して疑問を投げかけることで、より多くの思考のタネが手に入る。