受験勉強というのは、そもそも圧倒的に“つまらないもの”である。もちろん、問題が解けるようになるのは、ある意味では“快感”になるし、模擬試験でいい成績が取れるようになると、勉強も苦痛ではなくなるという面はある。
とはいえ、これらは“つまらない勉強”をゲーム的な要素に置き換えて得られる“おもしろさ”でしかない。しかも、受験勉強にゲーム的なおもしろさが出てくるのは、受験勉強の要領がわかり、ある程度結果が出てから後のことである。勉強で行き詰まっている人にとっては、ゲーム感覚で勉強を楽しめるようになるのは、まだ少し先のことだろう。
しかし、このつまらない受験勉強を、少なくとも入試日の近くまで持続できなければ、受験に成功しない。これだけはハッキリしている。
受験勉強と仕事は似ているところもあるが、一番の違いは、明確な終わりの有無。
受験勉強は1年から長くてもせいぜい3年間という“短編小説”だが、仕事は一般的には40年を超える長大な“ファンタジー”になる。
短編小説では、途中はどうあれ、最後のどんでん返しで一気に勝負をかけることができるが、ファンタジーにおいては緻密に構築された世界観をバックに、主人公(たち)の成長を見守りながら、次々と変わるゴール(ゴールそのものも成長すると言える)を目指していく、そのプロセスに味わいがある。
それゆえ、終わりに向かっていかに一直線に進むかを求められる受験勉強と、終わりよりもそのプロセスにおける自分のあり方が問われる仕事(ひいてはワークライフ)とでは、当然マインドセットが異なる。
それでも、仕事ファンタジーの1つ1つの“シーン”を微分していけば、そこには小さな“受験勉強”が無数にあり、これを乗り越える上では“どんでん返し”的なテクニックも役に立つ。
とはいえ、テクニックを駆使して局地戦で勝ち進んでいくだけでは物語が進まず、負けることによって初めて展開するシナリオもある。主人公が囚われの身になって初めてチャプターが進むという、ある種の“破綻”は仕事においても醍醐味の1つだと思う。
» 新・受験は要領 (Challenge & Success―和田式合格のストラテジー)