※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

愛と憎しみの先送り


佐々木正悟 先送りにはいつだってアンビバレントな気持ちが渦巻くものです。

  • やりたい、けれども先送る。

そういうものではないでしょうか?

先送りには両価的な気分がつきまとうわけです。

これは「大事なこと」だから、もっと体調がよくて時間も充分に取れるときにやろう。

ということもあるでしょう。おおいにやりたいからこそ、今はやりたくないというわけです。

これに対応して、もっと体調がよくて時間が充分に取れる「理想的な私」と、今は体調も悪くて時間に追われている「ダメな私」という二極化もあります。

まとめると次のようになります。

  • このタスクは理想的な私によって最高の成果になるか、
  • さもなければダメな私によって最悪の結末に終わってしまう。

いますぐ仕事を進められるのは「ただの私」だけ

このような愛憎、または好悪のシッポをつかまえなくてはなりません。

「理想的な私」も「ダメな私」も、最高の成果も最悪の結末も、この時点ではみんな心の中にしかないものです。

そもそも「私」はつねにひとりしかおらず、タスクの成果もひとつしかありません。現実に現れなかったものは、現実には存在することがないのです。

勝手に自分の好い状態と悪い状態を空想したり、それによって両極に分裂した結果を想像したりさえしなければ、仕事を先送る理由は必ず消え失せます。

現在の「よくない私によるダメな成果になりそうだ」という予想は、心の中の「理想的な私」による「最高の成果」という対比がなければ、もともと存在していなかったものだからです。

アンビバレントはつねに対によって成り立ちます。どちらかが消えれば両方いっぺんに亡くなります。この事実ひとつだけでも「両極な私」は空想の産物にすぎないとわかります。「私」がふたりいたりしたことはなかったはずです。

「好調(対不調)の私」や「元気な(対やる気のない)私」や「スキルアップした(対無力な)私」や「あの頃(対病気になってしまった)の私」の出現を待ってはダメなのです。両極なイメージはイメージでしかなく、「私」というのは「いま現在の私」だけしか居ないのです。

好調でも不調でもなく、元気いっぱいでも抑うつ的でもなく、有能でも無能でもなく、頭が痛くもいたくなくもなく、あの頃でもこの頃でもない、イマここにいるたったひとりの「ただの私」だけが、いますぐ仕事を進められます。

▼編集後記:
佐々木正悟


毎回好評をいただき恒例となりつつある立花岳志さんとの4回目のコラボセミナー開催のお知らせです。

今回はワークスタイル、ライフスタイルをテーマに「「40代50代から始める これからのフリーランスの働き方」クロストーク」と題して開催します。