彼の場合、その休むことが難しかった。
会社にはいかなくなった。でも、気分は休まらない。休んでいることそのものが申し訳なさになって、不安と焦りが募るからだ。
結局、家にいても仕事関連の本を読み続け、罪悪感から逃れるためにいっそ違う職場に移ってしまおうと、転職活動を始めすらしていた。
不思議な話です。
わたしたちは「自分で決めた価値観」のはずなのに、いつしか「自分がその価値観に従属させられる」のです。
果たして1か月後、彼女はまたやってきた。そして「普通に過ごしてました」と平然と言った。
ここが彼女の苦しさだ、私は思った。だから、伝えた。
「前回、苦しい胸の内を漏らしたことで、僕にも迷惑をかけたと思ったんじゃない?」
彼女はしばらく沈黙してから、「ずっと家で切っていました」とつらそうに言った。
彼女のなかには誰のなかにもありそうな「ルール」があるのです。
- 「他人に迷惑をかけてはいけない」
というルールです。
日本人でこれを聞いたことのない人は、相当にラッキーでしょう。
彼女はあまりにもこのルールを奉っていたのでしょう。だからカウンセラーに「本音を漏らす」ことすら、「もしかしたら迷惑をかけたのかもしれない」と思って家でリストカット=自分を罰せずにはいられなくなってしまうのです。
他者に対して「許せない部分」が増えていく理由
「我慢できること」という価値観を強く刷り込まれた者は、「我慢できない人」を見ると、その人の我慢できない態度が許せなくなります。
「1人で頑張ること」が大切だとたたき込まれた者は、「1人で頑張れず途中であきらめてしまう人」や「他者にすぐに助けを求める人」を目にするとイライラします。
「弱音を吐いてはいけない」と言われた者は、すぐに泣きごとを言う人を許せなくなります。
ルールを作ってしまったら他人に適用されると同時に自分にも適用されるのです。
「他人に迷惑をかけてはいけない」などは「常識的でよいルール」とされています。
しかしそれを他人に適用するから「あいつは他人に迷惑をかけた悪いやつだ」と思ってモヤモヤするし、自分に適用すると「他人に迷惑をかけた自分は極悪人だからもう表に出られない」となってしまいます。
とくに「仕事のことで他人に迷惑をかけてはいけない」といった感じのルールは最悪の部類に属します。
これを奉じていると職場で働くすべての同僚、上司、部下に腹が立つでしょう。
誰にも一度も迷惑をかけたことのない職場の同僚などまず見る機会はありません。
そして1度でも他人に迷惑をかけたりすると、怖くて仕事が手につかなくなっていきます。
たとえば私などであれば、このシゴタノ!を書いて炎上したりすると、管理人の大橋さんに2度と迷惑をかけないため、永遠にシゴタノ!に記事は書かないということになるわけです。
書籍をせっかく出していただいてもまったく売れなかったりすると「編集さんに迷惑をかける」から、本は書けなくなるわけです。
みんながみんなこれをするなら、日本で仕事ができる人はきっといなくなるでしょう。
世の中は停滞し、みんな孤独になっていきます。
善悪がきわめて非対称的に扱われやすいところには特に注意が必要です。
善い行いを1度すれば、悪いことも1度はできる、などとは誰も考えないのです。
悪いことを1度でもしでかしたら、その人間は永遠にひきこもって縁を切らねばならない、といったノリになりやすいのです。
「自分のなかに、正しいと思って刷り込まれた価値観が多ければ多いほど、他者に対して「許せない部分」が増えていく」からです。
Follow @nokiba
以上のような話には「救い」がどこにもないように感じられます。
めいめいがちっぽけでつまらない「正義」にこだわったあげく、ただ抑うつを振りまくのがオチです。
だから「人を甘えさせる」をキーにして本を書きました。
この本をテーマとしたセミナーを開催します。
一年ぶりのリアルセミナーです。
わたしたちにはこれ以上、めったなルールは不要なのです。
もっとラクになりたいものです。