先日、取材にお答えする機会があったのですが、その中で「やる気」という言葉はかなり曖昧で、文脈によって微妙に意味がずれるということを、教わりました。
そこで今日はまず、今日主題とする「やる気」の定義から入りたいと思います。
今日話題にする「やる気」は、通常私が取り上げている「やる気」とはちがい、「物事に取りかかる時に必要な気持ち」ではなくて、「この仕事(会社組織)なら、やっていけるかな・・・」という方の、ときどき「会社への忠誠心」と呼ばれる類の「やる気」です。
こちらの方の「やる気」は、「やる気を出す」というよりも、まず「やる気を失わない」ことが大事だと思います。この「やる気」がゼロになると「やってられるか!」ということになってしまうわけですが、飲みに行って憂さを晴らして立て直せるのであればともかく、「やってられるか!」というわけで二度と姿を見かけなくなることもありますので、打てる手がもしあるならば、そうなる前に手を打ちたいものです。
私が以前勤めていた会社で見ていた限り、「仕事へのやる気」を消耗させないように、普段から気をつけている人は、たしかにいました。女性の方だったのですが、その方のやり方でも特に印象に残った「コツ」として、
・仕事を可能な限り「文書」で受ける
・受けた仕事に取りかかってから、口頭でやりとりする
・仕事を完結させる前に、修正点を念押しする
・自分の仕事を完結させても、実は後で継ぐことができるようになっている
要するに、「自分のやってしまったことが、完全に無駄になってしまった」という結果になるのを、極力避けていたのです。
仕事を文書で受けることができれば、口頭で言われたことについて、曖昧なイメージのまま見切り発車することが避けられますし、しかもその後に口頭で念を押しています。(これがうるさがられることはもちろんあったはずですが、たいていそうした方が、結果としては大きな無駄が避けられます)。
その後は口頭での念押ししまくりです。相手の望んだゴールでないと、仕事の成果が無駄になってしまうからでしょう。さらに、そうやって作り上げた成果物に、何とかして手を加えることで、新しく要請された仕事の「踏み台」としてもいたのです。それはそうそううまくいっていませんでしたが、その人はそうすることで、自分のやったことは無駄にはなっていないという実感を得ていたのでしょう。
以前読んだ、アメリカの『ディルバート』というマンガに、「これから私のすることを見て、君自身がどのように評価されているかを、理解したまえ」と、上司が部下に告げるシーンがありました。そう言った上司は自分の部屋へ行き、部下が作成した分厚い「企画レポート」を踏み台にして、バンジョーを演奏しながら、部下を部屋の外で待たせる、という風刺画です。
そこまでひどいことはまずないでしょうが、手間暇かけてやったことが、一切無駄になる経験を繰り返すと、今日話題にしたような「やる気」は確実に失われていきます。この手の「やる気」を損なわないためには、少しでもいいから自分の成果物を「救い出す」ように気をつけることだと思います。