毎日、朝起きてから夜寝るまでの一部始終を記録に残しながら過ごしている大橋です。
以下の記事を読みました。
» 日記をリアルタイムに書くというソリューション – 本しゃぶり
しかし1日5行では内容があまりにも貧弱だ。何か書きたいことがある日は追加で書くこともあるが、大半は5行書いて終わり。天文学者のクリフォード・ストールは、著書『カッコウはコンピュータに卵を産む』で「文章のないところに現象はない」と述べた。俺の1日は5行分しかないのか。
そう思いつつも日々5行で済ませていたのだが、2,3ヶ月前、似たような話を複数のソースで聞いた。日記を書くのはリアルタイム、つまり何か出来事があれば、その時に書いてしまっている、と。
これは俺にとって目からウロコであった。日記というものは、1日の終りに書くものだと思い込んでいたからである。言われてみれば、1日の終りまで待つ必要は無い。現に仕事での記録はその時に書いている。むしろ後で書こうとするのは忘れてしまうので避けるべき事柄ではないか。
これを読んで、あ、これすでにやっているな、と気づきました。
タスクシュートを使っていれば、自動的に「日記をリアルタイムに書く」ことになるからです。
タスクシュートの原点は大学時代に遡る
改めてタスクシュートの原点を辿ると、大学時代に行き着きます。
当時の僕は大学生ながらに忙しく、授業と部活とアルバイトにいかに時間を効率よく割り振るかにいつも悩んでいました。
- 授業は動かせない予定であり、
- 部活は可能な限り時間をかけたいものであり、
- アルバイトは部活に必要な資金を稼ぐうえで欠かせないものであり、
ということで、どれも手を抜けません。
部活(社交ダンスにいそしんでいました)を目いっぱい楽しむには、時間はいくらあっても足りないほどですが、シューズや衣装や競技会、そして仲間との飲み会など、お金も必要。
アルバイト(塾講師の仕事をしていました)は増やせば増やすほどお金も貯まりますが、代わりに時間を差し出すことになります。
授業をサボれば時間を捻出することはできますが(実際、数え切れないほどサボったり、居眠りしたりしていました…)、限界があります。限界を超えると卒業が危うくなるからです。
以下は当時の時間割です。
- 赤:授業
- 橙:授業の予習復習
- 水:アルバイト、
- 緑:部活
こうしてみると、「なんだ、夜はちょこちょこ空白があるじゃないか」と思えるのですが、実際にはこの空白の時間にも何かをやっています。
細かすぎて見えないだけで、実はぎっしり詰まっている…。
そのときどきでいろいろなことをやっているため、結果として「フリー」になっているだけなのです。
時間割を決めることで、迷いは減りましたが、時間不足が解消することはありませんでした。
記録すればいいのか、という発見
- 時間を有効に使ううえでは計画が必要。
- 計画を立てるには、何をどんな順番でやればいいのか、何にどれぐらいの時間がかかるのかといった情報が不可欠。
- 順番や所要時間にはそれぞれ「正解」があるかもしれないが、それはあくまでも万人向けの最大公約数的な「正解」であって、必ずしも自分にとってぴったりの答えとは限らない。
- 自分にとってぴったりの答えが欲しければ、自分の足跡をふり返り、自分にとっての「正解」を見つけるしかない。
- そのためには足跡、すなわち記録が必要になる。
ここまで整理して考えていたわけではありませんが、当時のモヤモヤしていた頭の中にあったのはこういうことでした。
そんな折に出会ったのが以下の一冊。1995年11月17日のことです。
著者の長崎快宏(ながさき・よしひろ)さんは、いわゆる記録魔。
単に趣味で記録を取っているわけではなく、目的をもって詳細な記録を取っていました。
たとえば、以下はその記録の一例。
まず、家を出発した時刻、空港へ着くまでどんな交通機関を利用して料金はいくらか、温度(超小型温度計を常時携帯)はどのくらいで服装はどうだったか、空港へ着いてから出発までなにをしたか、搭乗前に何回トイレに行ったか、空港は旅客で混んでいたか、通関にどのくらい手間がかかったか、税関職員の態度は良かったか悪かったか、サテライトのラウンジで飲んだコーヒーの味から、航空会社スタッフの応対や手際の優劣、機内の温度具合、シートピッチ(座席の間隔)、乗務員の質のチェック、機内食のスケッチ、音楽サービス(選曲のセンスなど)、飛行時間などなど、いやらしいくらいのメモ魔ぶりである。
なぜ、重箱の隅をつつくような取材癖がついたかというと、記憶や印象というものは、必ずしも事実と一致しない場合が多い(ボクの場合は)。つまり、前に来たときはこんなだったという印象も、実際にそこへ行ってみたらそうじゃなかった、という記憶のギャップがたびたび生じる。
例えば、市バス料金や食事代、あるいはいつも泊まる安宿の宿泊費などはけっこうあいまいに記憶しているんですね、ボクの場合は。結局、以前のメモがあると次に来たとき「こんなに物価があがったんだ」ということが数字できちんと分かるわけです。
蓄積したメモのおかげで、めでたく十数冊のガイドブック執筆と相成ったワケです。(p.126)
こうした記録は、その都度残しておかないと忘れてしまいます。
それこそ、リアルタイムに記録していくことが欠かせないのです。
昨日やったことの大半は今日もまた繰り返す
上記の引用は旅行に出かけるときの、行ってみれば「非」日常の記録です。
もし頻繁に旅行に行くなら、毎回ほぼ同じことを繰り返すことになるはずなので、この記録の恩恵にあずかる機会が増えるでしょう。
記録をなぞりながら行動することで、迷いなくミスなくスムーズに旅程を進められるからです。
日常生活でも同様です。
むしろ日常生活であるからこそ、記録に残していくことで、
- あれ、なぜ毎日これをやっているんだろう?(疑問)
- A → B → Cより、A → C → Bの順番にやるほうがスムーズだな(発見)
- いつもこれを忘れるから、ここでチェックするようにしよう(アイデア)
といった疑問や発見やアイデアが得られやすくなります。
タスクシュートは昨日やったことは今日もまた繰り返すだろうということで、先回りして翌日に予定としてリストアップしてくれます。
もちろん、昨日やったけど今日はやらない、ということもあるでしょう。
今日やらないなら削除します。
こうして残った予定は昨日の自分が実際にその順番で実行できたもののリストになります。
白紙の状態から今日やることを改めてリストアップした方が良いのかもしれません。
でも、おそらく白紙の状態から初めても、結局は似たようなリストになると思うのです。
何らかの天啓を得て、「今日から私は別の人生を生きるゾー!」という意気込みで目覚めた朝であれば、まったく違ったリストになるかもしれませんが、もしそのような天啓が特に得られていないなら、です。
軌道は少しずつ修正されていく
毎日同じことを繰り返していても、その中でさまざま刺激を受けるので、その影響を受ける形で実行する内容も変化していきます。
意識的に変化させる場合もあれば、意識せずして変化してしまう場合もあるでしょう。
いずれにしても、記録に残しておくことでその変化を追いかけることができます。
この変化の足跡を振り返ることで、おのずと、
- この変化は自分にとって望ましいものか?
という問いに向き合うことになります。
ここで「望ましい」あるいは「望ましくない」いずれかの答えを返すと、それが今日の行動にフィードバックしていくでしょう。
同じ周回軌道を回り続けるのではなく、自分の意志で軌道に修正をかけていくことになります。
自分の周回軌道を知るには、記録が不可欠。
より精緻な記録を残したければ、その都度、すなわちリアルタイムに記録に残していくことになるわけです。