最近は、他の人が書いた記事に積極的に絡んでいこうとしている倉下です。
» なぜ日記を読み返すことは「面白い」のか? | シゴタノ!
以上の記事のタイトルを、自分の問いとして取り組んでみましょう。
「なぜ日記を読み返すことは「面白い」のか? 」
面白い日記とそうでない日記
比較から始めます。
上は昔使っていたほぼ日手帳で、下は昔使っていたアイデアノートです。
この二つを読み比べてみると、明らかに面白さが異なります。
というか、ほぼ日手帳の方はぎっしり文字が詰まりすぎていて、そもそも読み返す気が起こりません。
一方、アイデアノートは読み返す気持ちが湧いてきますし、読んでいても「ふむふむなるほど」と今でも感じる「何か」があります。
二つの明確な違いは、字の綺麗さではなく(どちらも汚いです)、記述の簡潔さにあります。
前者は、心の有り様がとりとめなく記述されていて、読み手にとっては重いものになっており、後者はある種の「見出し」だけが記述されていて、スムーズに読み進めていけます。
それだけではありません。
「グリーンの位置がわからないまま、クラブを選択する事などできない」
という一文は、今の私でも感じるものがあります。それがつまり面白さです。
日記とアイデアノートの曖昧な境界線
もちろん、指摘はあるでしょう。「日記とアイデアノートは別物じゃないか」。
しかし、本当にそうでしょうか。個人が書く日記と、個人が書くアイデアノートはまったくの別物と言えるのでしょうか。
梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』では、そのような観点に再検討を迫る考察がなされています。
- その1:日記は「心の問題」を扱うもの(文学的日記)以外にも開かれている
- その2:たとえばその日、その日の出来事を客観的、簡潔に記していく日記もありうる
- その3:それは研究者の野外研究(フィールドワーク)の記録に似ている
- その4:つまり日常生活を野外研究の場として捉え直すのが日記である
野外において、行動や、事件や、体験を、ちくいち記録していくように、毎日の行動や、事件や、体験を、野帳に記録してゆけばよいのである。経験を確実に定着させるには、これはもっともいい方法ではないか。
たとえば、生物学者さんがフィールドワークにおいてつけた生物の記録は、そのままその生物学者さんの日記に相当します。同じように、日々に思いついた着想を記録していくことは、その人の日記に相当します。
つまり、アイデアノートと日記には明確な境界線などないのです。
日記の面白さ
ここまで来ると、「なぜ日記を読み返すことは「面白い」のか? 」についてのヒントが見えてきます。
極めて稀な例を除いて、生物学者さんは生物やその生態について興味があるでしょう。それについて書かれた記述を読むことは面白いはずです。
一方私は、何かを考えることが大好きですし、アイデア・概念・造語・名言・皮肉といったものが大好きです。当然それについて書かれたものを読むのも大好きです。
自分の心を吐露するという限られた役割だけでなく、科学的、実務的、哲学的な日々の記述までも含めるとき、日記は自分の人生の「研究」を支えるためのツールとして新しい意味合いを帯び始めます。
あらゆる研究には記録が不可欠ですが、自分の人生の「研究」においてもそれは同様で、そのツールが日記というわけです。
つまり、日記を読み返すということは、その「研究」の途中経過・結果を読むようなものです。自分が関心を向けている研究について記述されているのですから、面白くないはずがありません。
自分の行動に関心があるなら自分の行動を、自分の時間の使い方に興味があるならその使い方を、自分の感情の反応が知りたいなら出来事と感情のセットを、それぞれ日ごとに記録していけばいいのです。
日記警察がやってきて「それは日記ではありません」と言われても、そんなものは無視すればOKです。
自分の日記は、(他者が読んでも面白いのだとしても)自分のためのツールです。そうして残した記録は、読み返していて面白いだけでなく、その記録を「使って」新しい発見を促すことすらできてしまいます。
なにせそれは「研究」なのですから。
さいごに
まとめましょう。
「なぜ日記を読み返すことは「面白い」のか? 」
日記とは、自分が興味を持ち、注意を向けた対象を記録して残したものであり、それは自分の「研究ノート」のようなものであるから。
それが、いまのところの、私の答えです。
▼参考文献:
最近頻繁に読み返しています。自分の中で何かの機運が高まっているのかもしれません。
▼今週の一冊:
今回の記事の話にも通じるところですが、タスクシュートを使うとか使わないとかではなく、記録を残すことって大切なのだ、ということについて考えられる一冊です。
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ちなみに、当然、自分に興味がないことをだらだら書いた日記は読み返しても面白くはないでしょう。日本の組織はそういう「記録」を残すのが大好きなので、その辺で記録嫌いがたくさん生まれているのかもしれません。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。