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タスクシュートで自我の限界に気づく



佐々木正悟 『グッドバイブス ご機嫌な仕事』出版記念セミナーに参加してきました!

同じような話を短期間に繰り返し伺っているにもかかわらず、毎度毎度感銘を受けている自分が不思議でもありますが、それくらい私自身、「自分の自我」というものにこだわっている人間ということなのです。

ということを思い知るセミナーとも言えます。

私自身が自我にこだわりが強い人間であることは、あえてセミナーに参加せずともよくわかります。タスクシュートにぞっこんだとは、そういうことなのです。

良くも悪くもタスク管理や時間管理は、自分をコントロールしようとすることです。倉園さんはこの日「自我がやりたい本当のことは世界征服」というかなり強めの指摘をされていました。

自我の限界に早く気づくために

確かに放っておくとそうなりかねません。自我は自分の行動を律したがる。環境を律したがる。けっきょくそれは周囲の人間の行動までも、ある程度にせよ律したがる。それだけでもひどく押しつけがましいと言えます。

「全体の利益」をうたい文句に、次のようなことをし始める人間が後を絶たなかったということを私たちは知っているから、いわば歴史に学んで自我を抑制するようになったのです。

アレクサンドロス (文春デジタル漫画館)

幸運にも私は自我を抑制せざるを得ない立場にいます。それでも「自分」に対しては行き過ぎがちです。どうしてかというと「自分のことを自分で自由にできる」とついつい思い込むからです。

それにこの発想を時代が後押しします。どちらかといえば「自立心が強い人」や「自分軸がしっかりしている人」を今の時代は好意的に見ます。私自身のことをそのようにいう人は、褒めてくださっているのでしょう。

心理学をかじったことのある人なら、この発想の危険性もよく知っているはずなのです。「自我」は「自分」ではないのです。フロイト以来、これは常識のはず。なのに「自我」が思うがままに「自分」をコントロールして、その先になにが待っているか。

よくてなにもない

そもそもそんなことはできないはずなのです。

コントロールするとは結局のところ、「意欲は別にある」という意味です。フロイトに言わせれば「無意識の衝動」と「社会からの要請」を「調整する」(コントロールする)のが自我だったはず。なのに「コントロール」が絶対王政になってしまったら、社会からの評価が絶対になるか、それとも衝動を破壊するか(抑うつになる)、いずれにしてもろくなことになりません。

タスクシュートは「コントロールする自我を助ける」ツールとして抜群ですが、けっきょくこれはその限界に気づくことで目的が達成されます。

割り込みに対処したい。あれもしたいこれもしたい。でも8時間の睡眠も確保したい。

社会からの要請に応え、家族からの要請に応え、それでいて自分の肉体的衝動も全部かなえようとすれば、絶対にどこかで折衷するしかなくなります。つまりそれが自我のやっていることそのものです。

限界に早く気づくことが必要です。「完璧にコントロール」したところで、つらいだけですし、特にいいことがあるわけでもないのです。自我がタスクシュートの「情報力」を頼りに、分をわきまえて「いいかげんに」コントロールする限り、「それなりに行き届いた生活」は可能となります。

そこで営まれている生活はじつに恵まれているし、それを達成できているのは自分自身だと気づくことができれば、タスクシュートする目的としては十二分です。