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毎日、嬉々として白目を剥いてぶっ倒れるくらい没頭できる仕事を目指す



大橋悦夫「神様はバリにいる」という映画で、個人的に印象的なシーンがありました。

「神様はバリにいる」といえば僕が真っ先に想起するのはこのシーンであり、この作品が描く夢のような世界はこのシーンによって下支えされているのではないかとすら思えます。

そのシーンとは、バリに住む大富豪「アニキ」が白目を剥いてぶっ倒れるくらい仕事に没頭せよ、と若者達を諭す、というものです。

このシーンを観たとき、「充実した毎日」とはこういうことを言うのだろうなと僕は感じました。「やらされ感」皆無の、本当に心からやりたいからやる、届けるべき相手がいるからやる、という他者に生かされ、自らも生きている状態。

まさしく「一生続けられるプロジェクト」にまい進できている状態でしょう。

「白目を剥いてぶっ倒れるまで仕事に没頭する」のは、もちろん結果であって手段ではありません。ただ闇雲に「白目を剥いてぶっ倒れるまで仕事に没頭」しても疲れるだけで、身体が持たないからです。

今回、このシーンを持ち出したのは、しかし、「一生」レベルの壮大なテーマではなく、「一睡」レベルの睡眠について書きたかったからです。

睡眠は「失地」を回復する時間

睡眠という、人生の3分の1前後を占める活動には興味が尽きません。

24時間のうち寝ている時間以外は原則としてすべて活動時間ですが、この活動時間の長さや質は睡眠の長さや質によって左右されます。

おのずと睡眠に一定の注意を向けざるを得なくなります。

以下の記事でも書きましたが、トータルの睡眠時間(売上)よりも深い睡眠(利益)に注目しています。

とはいえ、現実の利益と同様、睡眠もその深さ自体を直接コントロールすることは難しいので、利益を増やすために売上を増やすのと同様に、深い睡眠を増やすためにトータルの睡眠時間を増やす、というところからしか始められません。

そこでまずは可能な限り長い睡眠時間を確保しようと動くことになります。

すると、「いつもより長く寝た日は目に見えて何か違いがあるのか?」という素朴な疑問が浮かびます。

「寝ることによって失った時間を取り返したうえに、さらに何か得るところがあるのか?」、すなわち睡眠時間というコストに見合うリターンはあるのか、という問いです。

否、そもそも「失った」とか「コスト」と認識することがもしかすると発想として間違っているかもしれません。

もちろん、惰眠を貪っていたのならそれは明らかに「失った」時間と呼べるかもしれませんが、身体が求めているところに応えたのであれば、それはむしろ「得た」ことなのではないか、と。

そこで睡眠によって「失地を回復した」と捉え直してみます。

活動は積極的に「失地」を作る時間

すると、十分に睡眠を取って目覚めた朝というのはフル充電状態での出航なのに対し、「まだ寝ていたいのに、これ以上寝るわけにはいかない」と不十分な睡眠のまま強制的に目覚めた朝は、充電未完了のままに見切り発車を強いられるイメージが思い浮かびます。

そして、夜はまたやってくるので、それまでに日中の活動を通して「失地」を作っていく。「失地」があることで睡眠圧が高まり、睡眠の密度が高まることが期待できます。

ここで、「神様はバリにいる」のシーンにつながります。

白目を剥いてぶっ倒れるまで仕事に没頭することは、まさに極限まで「失地」を作ってるということなのです。

「ラクをして効率よく仕事をする」というスタンスも欠かせませんが、それによって十分な「失地」が作れずに、夜はなかなか寝付けず、結果として浅い睡眠のまま翌朝を迎える、という悪循環に陥ってしまうのであれば、現状の“回路”には改善の余地があるでしょう。

充電池と同じく人の活動時間も、使い切らない状態で“充電”をくり返すと、メモリー効果で持続時間が減っていくのではないかと考えています。

毎日嬉々として白目を剥いてぶっ倒れるまで没頭できるような仕事を見つけることが、仕事を通して実現を目指すゴールであり、同時に最終目標なのかもしれません。

「一睡」レベルのつもりが結局「一生」レベルの話になってしまいました。

おしまい。

参考文献:

堤真一さん演じるアニキが白目を剥いてぶっ倒れるまで仕事に没頭せよ、と諭すシーン、ぜひご覧になってみてください。しつこいようですが、僕にとってはこのシーンが忘れられないのです…。

プライム対象なので、プライム会員なら追加料金なしで観られます。

原作本も読みました。



編集後記