『なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか?』を書いている最中にもずっと考えていたことなのですが、なぜ「時間管理」にはこうまでまったく誤解が蔓延しているのでしょう。
佐々木はいっつも同じことしか言わない、といわれるようになりましたが、でも時間管理に関する誤解はまったく解けていないままです。この誤解が解かれるまでは、おんなじことをなんとかしてお伝えしなければなりません。
時間は、空間のようには使えないのです。
ですから、時間を空間のように扱うような管理法は、機能しないのです。
ぎっしりつまった倉庫にモノを入れるには?
時間管理の難しさは、ぎっしりつまった倉庫の好きなところに、新しくモノを詰める時の難しさです。
白紙の手帳を取り出して、やりたいことや、予定を箇条書きすることは、空いた空間にものを入れようとしているので、そういうことはできないのです。
明日の11時という時間が、ただ「空いている」ということは、ないのです。11時という時間は、11時に仕事をしているとか、11時に歩いているとか、11時に喋っているとか、なんでもいいのですが、とにかく何かをしているのです。ここが「空いている空間」とぜんぜん違うところです。
そしてすべての時間は、そうなっているのです。なにもしてない時間というのはありません。寝ているとしたら、寝ているのですから、寝るのをやめて、読書をしたいなら読書をするしかないのです。何もない空間に箱を置くように、なにもしていない時間に読書する、ということは絶対に不可能なことです。
このような意味で、無駄な時間とか、スキマ時間とか、そういったものは存在しないので、存在しないものは、使いようがないのです。時間とは、ぎっしりつまった倉庫という比喩でも足りず、粘土でつまった空間のようなものです。
空いているところと、空いてないところがあるのではなく、そういう区別はなく、埋まっているところと、他のモノで埋まっているところしか、ないわけです。忙しいから、ではありません。どんな暇な人でもそうなのです。
入り口は「現在」1つだけ
そのぎっしりつまった倉庫には、入り口は1つしかありません。「現在」という入り口しかありません。できることはたった1つ。「現在」の扉を開け、そこにあるものを出し、代わりのモノを詰めること。「時間管理」で具体的に使える手段は、ただこれ1つだけなのです。
記録を1分のスキマなくとることが、時間管理の第1歩であることが、ここから明らかになるはずなのです。24時間という行動でぎっしりつまっている倉庫全体の様子は、ただ、すべての行動記録を残すことによってしか、把握のしようがないからです。
記録さえ残せば、24時間という倉庫の中身がなんとなくでもわかってきます。その倉庫の現状が気に入らなければ、いつなにを取りだして代わりを詰めればいいのかも、少しずつわかってくるでしょう。
時間管理とは、これをいいます。
がらんどうの空間に、好きなモノを詰めていくというやり方ではうまくいかないに決まっているのです。まして、ぎっしりつまった入り口が1つしかない倉庫の「スキマを活用する」なんて、ナンセンスもいいところでしょう。