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新しい“回路”を作る

仕事のスピードがアップするのは、“慣れ”があるからだと思いますが、では、仕事のスピードをアップさせるためには“慣れ”が生まれるまで続けるしかないのか、というとそういうわけでもなさそうです。

なぜなら“慣れ”ているはずの仕事であっても時間がかかることがありますし、初めてやる作業であっても素早く進めることができたりするからです。

では、仕事のスピードをアップさせている要因は何でしょうか?

これについて考えるために、まずは“慣れ”について少し掘り下げてみます。“慣れ”は繰り返すことによって頭の中に“回路”が作られた状態と言えるでしょう。一度通ったことがある道なら、うろ覚えでも何とか目的地にたどり着くことができることに似ています(方向音痴な人を除きますが…)。こうして二度通ったことになる道についての“回路”はより強固になります。

以降繰り返すごとにどんどん太く濃くなっていき、最初はシャープペンシルでうっすらと書いただけの線が次第に極太のマジックペンで裏写りするくらい黒々と描かれていくかのように、もはや忘れようと思っても忘れられないくらいの濃厚な“回路”に成長していくわけです。

問題は、この“回路”が目に見えないこと。それゆえ、どんなに濃厚な“回路”を持っていても、それを人に説明しようとしても、うまくいかない場合が出てきます。人に説明できない、ということは自分にとっても、そこで作り上げた“回路”を他の行動に応用しづらい、ということでもあります。

例えば、理由はよくわからないが、ある仕事についてはなぜか非常にスピーディーに進めることができるという状況がある場合、それはその仕事についての濃厚な“回路”ができているためと考えられます。当然、他の仕事にも応用したいと考えるのですが、その際に“回路”をコピーするための“金型”のようなものがあって、それが橋渡しをしているのではないか、と想像しています。

“金型”があれば、同じ形のものを簡単に作ることができます。つまり“回路”という閉じたシステムからその輪郭だけを“パターン”として切り出してくるわけです。

初めてやる作業でもスムーズに運ぶのは、無意識にこの“金型”を介した“回路”のコピーが行われ、その仕事のための新たな“回路”が作られているからだと考えられます。

ただ、一見同じような“回路”が転用できそうな作業であっても、やり始めてみると実は相違点が多く、うまくいかない場合があります。このような時に、「“回路”が違う」ことに気づいて別の“回路”を割り当ててみるという試行ができなければ、「仕事がいっこうに進まない」という現象として目の前に浮かびあがってきます。

前回の「可もなく不可もないパターンを多く持つ」では、

パターンが増えてくれば、シミュレーションをすることの実態は「既存のパターンのどれを当てはめるかを決めること」になります。「シミュレーションする」と言われても何をどうすればいいのかがわからずに、なかなか行動に移せないものですが、要するに何をすることなのかが明らかになれば、行動はしやすくなるでしょう。

というようなことを書きましたが、ここで言うところのパターンとは“回路”であると言えます。

目の前の仕事が思うように進められなくなったら、必要とされている“回路”が自分の中に見当たらない、ということで、新たに作り出す必要があるわけです。ちょうど、初めて訪れた場所で、何がどこにあるのか見当がつかずに右往左往する状況に似ています。

それでも、太陽の方角やそこから見える有名な高層ビルの位置などを頼りに何とか自分の居場所の見当をつけていくことはできるはずです。

では、仕事における「太陽の方向」や「高層ビルの位置」とはどのようなものでしょうか。

それは、それまでの経験から得られた「こうあるべき」というビジネス上の慣習や、その時のトレンドといった低いレイヤーに位置する原則のようなものでしょう。

とはいえ、それに従うばかりでは、当たり前の、模範解答的な結論にしか到達できないでしょう。あえて「こうあるべき」から外れたり、トレンドの逆を突いてみたり、という工夫が有効な場合もあります。

言い換えれば、“回路”と“金型”は、仕事をスピードアップさせる上では有用である反面、無意識のうちに起動して自分の行動を制御しようとするために、既存の発想の枠から出ることを難しくする場合がある、ということです。

例えば、2005年4月に解散した「あばれヌンチャク」というお笑いコンビがいたのですが、解散後、一方は「桜塚やっくん」としてピン芸人として活動を継続、現在はスケバン恐子というネタで活躍しています。

このネタの最大の特徴は、自らがボケ役に徹し、予めピックアップしておいた観客にツッコミをさせるところです。「ツッコミをしてくれる相方がいないのなら、観客にツッコんでもらえばいいじゃないか」という従来の考え方からは少し外れる発想です。

もちろん、これまでも観客をいじる芸人がいなかったわけではありませんが、ネタの根幹を成す部分にこれほど深く観客を参画させる試みはあまりなかったのではないかと思います(そういう意味では、“お笑い2.0”なのかな、と思っています)。

解散後に通常のピン芸人としてやってく道もあったとは思いますが、単なるピン芸人ではなく、一工夫を添えたやり方を実践しているところに新しさを感じています。

仕事でも、初めての作業なのにスムーズにできている、つまり既存の“回路”がうまく適用できている場合であっても、あえて「別のやり方はないか?」という自問をしてみることで、少し離れたところに新たな“回路”を作るきっかけになるでしょう。