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タスクシュートなあなたは記録派? 計画派? 



佐々木正悟 私がタスクシュートを最初に触れたのは、「やるべきだと思っていることを生活の中にどんどん組み入れたら、いったいどんな時間を過ごすことになるんだろう?」と実験したかったからでした。

これはしかし、開発者の大橋悦夫さんがTaskChuteの使い方として想定したものと、必ずしも同じではありません。

大橋さんは、拙著『なぜ,仕事が予定どおりに終わらないのか?』(技術評論社)に書かれていたとおり、最初TaskChuteを「必要な作業ペースを割り出す」という目的で設計されました。

詳細は割愛しますが、50メートルを泳ぐのに60秒かかるなら、1km泳ぐためには少なくとも20分はかかる、ということを測ろうとしたのです。

1日にやることをすべていったん「作業」と仮定すれば、1日分の全作業を終わらせるにはどのくらいの時間がかかるかを「測る」のも、同じ方法でできるはずです。大橋さんがTaskChuteでやろうとしたことの原型は、おそらくそういうことです。

一見したところ、私がやろうとした

やるべきだと思っていることを生活の中にどんどん組み入れたら、いったいどんな時間を過ごすことになるんだろう?」と計算するのと、

1日分の全作業を終わらせるにはどのくらいの時間がかかるかを「測る」のは、同じようなことに見えるでしょう。

私はやるべきことを最初に計算してみたかった

しかし私のほうは、自分のやろうとしていることを、いったいどうしたらやり抜くことができるかを、はるかに気にしていました。やってみて、それにかかる時間を計測するという考えは、もっていなかったのです。

なぜなら、私が「やりたいと思っていたこと」は、1度きりやってしまえばそれで終わることだと思っていたため、やってみて「計測する」のでは意味がない。やったときにはすでに終わってしまう。だから私は「やったらどうなるか?」をシミュレーションしたかったのです。TaskChuteに最初から備わってなかったシミュレーション機能を求めたのは私です。

一方大橋さんが最初に設計したとおりのTaskChuteの使い方においては、『なぜ,仕事が予定どおりに終わらないのか?』にも書かれていたとおり、「連日分割して進める作業ペースを知る」というタスクの性質上、まずやってみて実測値を割り出すという発想を持つのが自然だったでしょう。

ログがプランになるという事実を知る

結果からいうと、大橋さんのように使った場合にはもちろん、私のような使い方で始めてしまったとしても、タスクシュートは問題なく機能します。そして時間の使い方も間違いなくうまくなります。

私はTaskChuteというものを誤解していたのですが、さらに突き詰めて考えてみると、時間と行動というものを誤解していたのです。

今でもどうしてもくり返し耳にするタスクシュートに対する典型的な不満があります。「私の仕事には、そんなにルーチン作業が多くない」というものです。

だから、タスクにかかる時間など、想定できない。見積もれない。出だしからタスクに「見積もり時間」を入れろといわれても困る。どうせ正確な時間は入れられない。シミュレートできない。だから1日分の作業を綿密に組んだところで、終わるかどうかわからないリストになる。そんなツールでは使い物にならない。

これは、私が最初にやろうとしたことです。大橋さんのように、くり返し同じような作業を連日に渡って行うのでないから、作業ペースを知ろうといっても無理で、それより、「正しいタスクの見積もり時間を知る方法」を知りたい、というように思ったわけです。

でも、そんなものを知る方法やツールなど、この世のどこにもありません。いったい、佐々木正悟のこれからやる行動にかかる時間を、正確に教えてくれるツールなどというものは、魔法みたいです。

結局私は「原稿書きにかかるであろう時間」に当たりをつけ、40分とか、1時間とか、適当に見積もり時間を入れては、「1日の行動シミュレーター」としてTaskChuteを使っていました。それで十分面白かったし、役だったからです。

しかし、使って3日で気づきました。人間は、基本的にはできることしかしていない。そして、できることというものは、行動の名称にかかわらず、同じような時間をかけて、同じようにやるものだと。

たとえば、真剣に文章を書くとなれば、1000字書くのにかかる時間は、本を書くのでもブログを書くのでもあまり違いはありません。これはちょうど、ことさら意識しない限り、パン一枚食べたり、コーヒー一杯飲むのにかける時間が、どんな日であってもほぼ同じであるから、結局平均的な食事にかけている時間は、どの日もきわめて似たり寄ったりになってくるのと同じことです。

そのとき私が悟ったのは、無駄な行動を削って、代わりに有意義な行動を取り込むというのは、夢想だったということです。現実に記録に残っていたのは、必要な行動を、似たような時間をかけて、いろいろとくり返して過ごしている一個の人間の、観察された記録のようなものでした。

つまり私は、未来への展望だけをつけるツールとしてTaskChuteを使い始め、一周回って、いつしか「観察された記録」を残すようになっていたわけです。つまりログ=プランという事実に、いつの間にか気づかされていたということです。

このプロセスの中で、時間の使い方が、改善されていくのです。ログがそのままプランになっていく。というより、プランになってしまう。だからほぼ無意識の中で、自然な発想だけを持っていては、毎日毎日、全く同じような時間の使い方をくり返すだけだ。

自然な発想というのは、なるべく「雑務」に時間をかけず、無駄なことに時間を使わず、まとまった時間を確保し、やるべきことを少しずつ片付けていこう。そういう「自然な」発想です。それがまさにダメなのです。

そういう自然な発想をもって、毎日毎日、「今日はさわやかな秋晴れだから、そのくらいのことはきっとできる!」などと意気込んでいても、なにもできずに終わるだけです。そういうのをやめて、たとえば、どうしても自然にやってしまうことをやめたり、極端に短くしたり、「やるべきことをやるためのまとまった時間」などという発想自体を捨てなければいけない

数分しか確保できなくても「やるべきこと」をするとか、メールなど見もしないとか、そういう「異常な発想」で1日を始めなければいけなかったのです。それはログ=プランに「なってしまう」以上、「ログ」を変化させない限り、時間の使い方は変わらないからです。

タスクシュート式の解説書