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「ずっとやっていたい!」ことより「続けていても苦にならない」ことを選ぶ



大橋悦夫「時間はつくるもの」と言われることがあります。もちろん、実際に時間をつくることはできません。「1日」という“樽”には「24時間」という“積載可能量”が最初から決まっているからです。

では、ここでいう「つくる」とは何をつくろうとしているのか?

それは、本当にやりたいことに使える時間をつくる、ということだと、僕は考えています。

「やりたいこと」に時間を使えていないということは、言い換えれば「それ以外のこと」に取られている、ということです。

「ムダだからやめよう」は実は意外と難しい

24時間というキャパシティが決まっている以上、「やりたいこと」に使える時間を増やすには「それ以外のこと」に使っている時間を減らしていくしかありません。

そのためには、そもそも自分が「やりたいこと」とは何なのか。それをあきらかにする必要があります。さもないと、まずもって何を減らせばいいのかがわからないからです。

  • 「これはムダだからやめよう」

という判断をくだすのは、一見すると簡単そうに思えますが、「ムダ」と見なせるということは、その対極に「必要」と見なしている何かがあることになります。

この考えを押し進めていくと、最終的に以下のような境地に至るはずです。

  • 「これさえやっていれば、あとはもう何も要らない」

もちろん、食事や睡眠など、生きていくうえで欠かせない時間もありますので、すべてを「これ」に投じるわけにはいきませんが、「寝食忘れて打ち込む」という言葉があるように、そういう時間すら惜しく感じられるくらいに強烈な「これ」というものがあるのも事実です。

そんな「これ」を見つけるためのヒントは「ずっとやっていたい」と思えるかどうか、ではありません

もちろん、そう思えるに越したことはありませんが、むしろ、「続けていても苦にならない」と思えるかどうか、のほうが文字通り長く続けられるでしょう。

つまり、「ずっとやっていたい!」という、アグレッシブな方向性よりも「続けていても苦にならない」という、どちらかというと、消去法で残った選択肢のような控えめなテーマのほうが、“生存確率”が高いと思うのです。

最初はパッとしなかったけど、続けるうちにだんだん愛着が湧いてきて、今では「これをずっと続けられたら幸せ」と思えるくらいになった。

そういう風に感じられるテーマこそが、結果として「やりたいこと」になっていくのではないか、というわけです。

『仕事に必要なことはすべて映画で学べる』にいかのようなくだりがありましたが、まさにこれです。

結局のところ、僕が言っている「好きなことをやれ」という意味は、「飽きないことをやればいい」ということです。自分がいくらやっても飽きないことを見つければいいんです。才能を見つけようと思うから間違う。

僕が映画監督を続けることができた最大の理由がそれです。ほかのすべてには飽きたけど、僕は映画に関してだけは確かに飽きなかった。むしろ今は映画に飽きないさまざまな努力をしています。

それは「映画館に行かないこと」です。それも映画に飽きない努力の一つだし、今の映画を見ないということもそう。僕は自分のスタンスで映画について考え続けようと考えています。

「映画を愛している」みたいな発想は僕には全くありません。僕は「映画の正体」を知りたいと思ってやっているだけです。だからいろんな映画を試します。実写を撮ることだってそうです。映画はどういうふうにできるのか、映画の本質とは何なのか。それを知るためにいろんなことをやってみようと思っています。そのおかげで映画に飽きずに今まで続けることができました。

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