知的生産の基本は、着想を書き留めることです。
使えるツールには、メモもありますし、ノートもあります。そしてカードもあります。
『知的生産の技術』を著した梅棹忠夫氏は、「発見の手帳」を経由して、最終的にはカード法に落ち着きました。だからといってカードでなければならない理由はありません。メモでもノートでも成果を出し続けている知的生産者がたくさんいることがその証左です。現代ならデジタルツールだって構わないでしょう。
ともかく着想を書き留めるという行為を愚直に続けていくことが、最初の一歩になるのです。
とはいえ、問題がないわけではありません。それは、「着想を書き留める」といっても、その着想に粒度の違いが存在することです。
今回はそのことについて書いてみましょう。
ミニノート
私が着想の記録に使っているアナログツールには、大きく二つの種類があります。一つが「ミニノート」。もう一つが「情報カード」です。
ミニノートは胸ポケットに入るサイズぐらいのものでどこに行くにもだいたい携帯しています。情報カードは、京大式と呼ばれるB6サイズで、カバンの中にいつも十数枚を忍ばせています。
この二つは、同じく「着想を書き留める」ツールではありますが、書いていることは全然違います。まずは、ミニノートからご覧ください。
「走り書き」と呼ぶのがふさわしい書き込みです。正直、私以外は解読は不可能かもしれません。こうした書き込みは非常に暫定的なもので、その後Evernoteに書き写したり、あるいはTwitterに書き込んだり、文章のネタとして使ったりして消費されます。
情報カード
では、少し大きめの「情報カード」はどうでしょうか。
ミニノートと比べると、きっちりした「文章」__梅棹風に言えば豆論文__になっています。
ちなみに、上記のカードに書かれていること(2枚目のカード)をTwiitterでつぶやくと以下のようになります。
ドネラ・H・メドウズの『世界はシステムで動く』では、システムは「レジリエンス」「自己組織化」「ヒエラルキー」を持つ。レジリエンスによって、多少の影響はそれを打ち消すような動きによって無効化され、システムは一定性を保つ。
— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2016年3月29日
@rashita2 しかし、「自己組織化」は、マーク・ブキャナンの『世界は「べき乗則」で動く』で示されているように、どような規模のことでも起こりうる。頻度が稀であれ、大きなインパクトのあることは「当たり前」に起こりうる。
— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2016年3月29日
@rashita2 結果的に、システムのレジリエンスを越えるようなインパクが発生し、システムは崩壊に至る。そういうことが「当たり前」に起こりうるのだ。だから、小さな変化についても十分注意を払わなければいけない。たいていそれは杞憂に終わるが、何度かに一度は成果を上げる。
— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2016年3月29日
@rashita2 小さいこと、些細なこと、自分とは遠いこと。そういうことを無視していると、まったく想像もつかないところから(タレブが言うブラック・スワンのように)脅威は訪れる。それは純粋な意味で「予想」できないのだ。人間の知性にも限界がある。その点さえ忘れなければ良い。
— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2016年3月29日
着想の違い
二つとも、私の着想を書き留めたという点では共通していますが、さすがにこれを「同じ」として扱うことには無理があるでしょう。
前者は一瞬の閃きを捉えたものであり、後者はそこから思考・思索を深めたものとなっています。実際私は情報カードに書き込みをしながら、自分の思考を整理しているようなところがあります。書き留めながら考えている、考えながら書き留めている、そんな感触です。
こうした思考の記録は、もうそのままでブログの原稿として使えますし、書籍の一節を担当する力があります。ある程度のウォーミングアップが済んでいるような感触です。前者には、そこまでの力はありません。そこから膨らませていく努力が必要です。
あくまで理想を言えば、後者のような情報カード的書き込みを増やしていく方が知的生産には役立ちます。しかし、そのためには時間が必要なのです。1枚のカードを書き留めるには3分から5分程度の時間が必要ですし、何か別の作業をしているときはその時間すら惜しく感じられてしまいます。
だから、二つのタイプの着想の記録があるわけです。思いついたことをぱっと書き留めるためのメモ、そうして思いついたことを膨らませて定着化させておくための情報カード。このような使い分けがあるわけです。
さいごに
ちなみに、書き出した情報カードはiPhoneのカメラアプリで撮影し、Evernoteへと放り込みます。この時点で、おおもとの情報カードは捨てても構わないのですが、机の上に情報カードボックスを設置し、そこに保管するようにしています。
ちょっとした空き時間__パソコンを再起動している時間など__にカードをぺらぺらめくると、「そういえばこういうことを考えていたな」と思索を想起できる効果が期待できます。こうした「気楽な」操作感は、リアルなカードならではでしょう。
もちろん、追加で思いついたことがあれば、また別のカードへとしたためます。そうして思索は成長していくわけです。
知的生産においてカードを使うことが重要なのではありません(もちろん便利なツールではありますが)。着想を書き留めること。思索を深めること。そして、それを後から見返すこと。この3つが大切です。それを実現できるツールならなんだって構いません。
ちなみにその観点から言うと、私は自分のブログも情報カードの一部みたいに使っております。あれも豆論文に毛の生えたようなものです。他人とシェアする情報カードがあっても、それはもちろん良いでしょう。
▼参考文献:
何はともあれこの一冊です。
▼今週の一冊:
カウンターカルチャー運動は、文化的貢献はあったかもしれないが政治的な貢献はほとんどなかった、というかむしろ害があった、と述べられている本です。
個人的にはその論点よりも、消費文化は「差異」を求めて肥大化していく、という点が面白かったです。なかなか難しめの本ではあります。
» 反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか
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ようやくイベント周りが終わり、電子書籍の原稿は3月31日にはもうまるっきり間に合わないので、もう少しゆっくりやることにしました。あと、新ブログなんかの準備も進めています。「新年度だから」というのはスタートダッシュには良い言い訳として機能してくれますね。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。
» ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由