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ライターズ・ブロックに負けないために

By: re_birfCC BY 2.0


倉下忠憲私は物書きの仕事をしています。

犯した罪に対する刑罰ではなく、自発的にこの仕事をやっているわけです。もちろん、そこにはさまざまな理由があるのですが、その一つに「文章を書くのが好き」が含まれている点はほとんど確実です。

単純に考えれば、ケーキ好きの人がケーキの味見係をやっているようなものでしょう。だから毎日楽しく仕事をしているのですが、何の困難も経験していないかというとそうではありません。

いつでもどこでもやる気満々で仕事に取りかかれる__ということはなく、むしろどうしても取りかかれないようなシチュエーションがちらほら出てくるのです。不思議です。だって、文章を書くのが好きなのに。

ダニエル・アクストの『なぜ意志の力はあてにならないのか』というあまり救いのないタイトルの本を読んでいたら、その疑問についてのヒントに出会いました。

» なぜ意志の力はあてにならないのか―自己コントロールの文化史

もの書きの、難しさ

「明日、書こう」と見出しが打たれた節で、アクストは「なぜ物書きが先延ばししてサボることで有名なのか」を検討しています。良かったです。どうやら私だけではないようです。

さて、アクストはどんな要素を挙げているでしょうか。一つには、ものを書くことには抽象的な思考が必要な点があります。

抽象的な思考の報酬ははるか遠い未来にしかないし、それどころか報酬がまったく得られないことだってある。それにいまは抽象的思考の場はインターネットにつながったコンピュータの前だ。これ以上にサボりたくなる仕事環境が考えられるだろうか?

つまり、ものを書くことには、あまりうまいインセンティブが働かない、ということです。

もともと数万字の本が完成するのは数ヶ月先の話であって、短期的な(心理的なものを含む)報酬はなかなか得られません。その上、現代では短期的な報酬が手っ取り早く得られるツールの上で原稿を書くのです。これはジム内にケーキバイキングが併設されているようなものでしょう。なかなか厳しい状況です。

思考の階層と領域

しかし、それだけではありません。アクストは『WILLPOWER 意志力の科学』のロイ・バウマイスターの考えを引きながら、頭の中のプロセスについて書いています。いわく、私たちの頭の中には階層があり、高い階層が抽象的なものを、低い階層がそうでないものを扱うようです。

そして、ものを書くには、低い階層のプロセスよりも高い階層のプロセスの方が優先されていなければいけません。問題はここにあります。

デスク向かってパソコンのモニターを眺めながら、山のような複雑な材料を整理し、読みやすい文章にまとめようとしているとしよう。

そこでふっと、この前(たぶん前日に)仕事をする代わりにぐずぐずと遊んでいたことを思い出して、あれはまずかったな、と考える。そう思えば、当然自意識が苛まれていやな気分になる。

そこでロイ・バウマイスターの言う階層の低いほうへ、サボりがちな人間には毎度おなじみの低級な満足のほうへ(インターネットや冷蔵庫のほうへ)と逃げ込んでしまう。

ここには奇妙なねじれがあります。

「仕事をする代わりにぐずぐずと遊んでいたこと」を思い出したのなら、必要なのはそれを挽回するために仕事をすることでしょう。しかし、それとは真逆の行動が引き出されています。

ものを書くには抽象的思考が必要なのですが、「自意識が苛まれて」しまったことによって、抽象的思考を行うための余力が失われてしまったのでしょう。抽象的思考であろうと、自意識を苛む思考であろうと、共に思考であることはかわりありません。片方の領域が大きくなれば、もう片方が割を食うことは目に見えています。

あるいはこんな風に考えられるかもしれません。

仕事をしようと思う。

すると嫌な気持ち__前日の失敗、達成できるかどうかの不安、評価への恐れ__が湧いてくる。

そこで、インターネットや冷蔵庫のとびらを開ける。

すると、思考が逸れて嫌な気持ちが消える。インターネットや冷蔵庫に大きな快がなくても、不快が消えることは相対的に快になる。よって、その行動が強化される。

すると、結果的に仕事が手に付かず、そのことがより嫌な気持ちを増幅し、強化に歯止めがきかなくなる。

こういう循環構造です。

いくつかの対策

以上が正しい説明なのかはわかりませんが、実体験からいうと、たしかにありそうな話に思えます。

たとえば私は毎日ブログを書いていますが、どうしても取りかかれないような気持ち__英語ではライターズ・ブロックなどと呼びますね__になることはありません。

それはブログのフィードバックがかなり早く返ってくることも関係しているでしょうが、それ以上に私が「毎日書く」と決めている点も関係していそうです。

「毎日書く」と決めていると、「今日は書こうかどうしようか」と考えることもなくなり、自意識が顔を見せる余地が小さくなります。多くの作家が毎日一定の分量を書くことを決めているのも、これに関係しているのでしょう。

また、「嫌な気持ち」が思考を支配するのが問題なのですから、それが起こらないようにするのも一手です。

私は最近、原稿の進捗(書いた文字数など)を管理する表をGoogleスプレッドシートに作成しました。

screenshot
※0より大きい数字が入力されると塗りつぶしの色が変わる。

こうしたものに数字を記入していくことに、直接的な生産性はありませんが、もしかしたら思考を補助する効果が期待できるかもしれません。

なにせ、結果としての数字がそこにあれば、思考が抽象的にふわふわと膨らんでいく可能性はぐんと減ります。「昨日はあんまり仕事しなかったな」は自尊心を傷つけますが、「とりあえず1000文字は進めた」と気づければ思考のスイッチも切り替わることでしょう。

ただし、こうした表は空白の欄が続けば、結局は同じことになります。「毎日書く」との組み合わせが必要でしょう。

さいごに

これまで5年ほど物書きの仕事をやってきましたが、小さい原稿(短い締切)に遅れたことはまずありません。でも、大きな原稿(長い締切)だと、遅れてしまうことが頻繁にあります。

もちろん、「本」として世に出る以上、十分な時間をかけて執筆すべきなのですが、たぶんそれとは別のレイヤーの問題があるのでしょう。

小さい原稿の感覚で大きな原稿に取り組んでしまうと__つまり何の補助もなくやろうとすると__、フィードバックの遅さや自分が心に抱いてしまう恐怖心の大きさから、うまく進まないことがありそうです。

私の場合であれば、準備段階に時間をかけすぎると、原稿の執筆が遅れてしまう傾向があります。たぶんそれは構想自体が膨らんでしまうことと、「早く書かなければ」という思考が、思考領域を支配してしまうからなのでしょう。

「少しでも毎日書く」や「進捗を見える化しておく」というのは、そうした問題への対策となるかもしれません。

» なぜ意志の力はあてにならないのか―自己コントロールの文化史


▼参考文献:

意志の力を筋肉のようなものだと考えるアプローチが紹介されています。セルフ・マネジメントに役立つ知見がたくさん。

» WILLPOWER 意志力の科学


▼今週の一冊:

強烈な作家スタイルが語られている本。

もしかしたら森先生は、ライターズ・ブロックとは無縁かもしれませんね。あまり森先生が特別すぎるので、これからの書き手の参考になるかどうかはわかりませんが、出版業界の話なんかも面白い本です。

» 小説家という職業 (集英社新書)[Kindle版]


» 小説家という職業 (集英社新書)


▼編集後記:
倉下忠憲



進捗管理表をつけ始めてまだ一週間ほどですが、たしかに無意味なことをもやもやと考えることは減ったような気がします。ぴりりと辛い切迫した現実感はきちんと残りますが。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

» 知的生産とその技術 Classic10選[Kindle版]