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「見通し」の魔力を身をもって実感した話

大橋悦夫週に一度、パーソナルトレーナーのもとで筋トレに取り組んでいます。

トレーニングメニューは完全にトレーナーにお任せしており、約束した時間にジムで合流すれば、あとは言われるがままに身体を動かすだけです。

いくつかあるメニューの中で個人的に苦手なのが腹筋。

45度くらいに傾斜した腹筋台に頭を上にして仰向けに横たわり、両腕を上げて頭の上にあるバーを掴みます。

その状態で、下半身を腹筋台に対して垂直に引き上げます。横から見ると、ちょうど僕の身体がVの字になるイメージです。

以下のような体勢を60秒間キープします。


こっそりと時間延長

トレーニングを始めた当初は30秒でしたが、少しずつ“滞空”時間が長くなり、今では60秒になりました。

でも、その時間は教えてもらえません。

「じゃぁ、始めてください」

と言われるだけです。

いつ終わるかわからない中で、とにかくひたすらV字をキープ。

しばらくすると、

「あと30秒です」

という、最初の目安を教えてもらえます。

その後は、

「あと15秒…」

「あと5秒…」

と、やや刻み気味に残り時間を知らされます。

つまり、トータルの時間ははっきりとは示されず、終わりに近づいてきたときに、残り時間がわかるだけなのです。

トレーナーは、僕の様子を見ながら、トータルの時間を少しずつ、しかも「こっそり」、延ばしてきます。

知らないほうがいい場合もある

もし始める前に「今日は前回よりも10秒長いですよ」と言われたとしたら、心のどこかで「今日はいつもよりキツい」という先入観を持ってしまうでしょう。

それによってがんばれる、ということもあるかもしれませんが、逆に「だから、できなくても仕方がない」という軽い“甘え”を誘発することもあります。

「今日は前回よりも10秒長いですよ」という“前情報”がクスリにもなればノイズにもなりうるわけです。

むしろ何も言われないことによって、

「いつもと同じ調子でやればいいのだ」

と、自然体で向かうことができます。それが実力ということになるでしょう。

それでも、少しずつ時間が延びていくということに対しては、警戒を抑えられません。

「今日は前回よりも長いかもしれない」

という不安とともに始めることになるからです。これは軽いストレスといえます。

知っておいたほうがいいこともある

そんな中、最近トレーナーから言われた一言がこのストレスを一気に消し去ってくれました。

その一言とは、

「1分以上長くすることはありません」

この一言を聞いた瞬間に、それまで身体に固定されていた目に見えないロックが外れたような解放感を覚えました。

「今後も少しずつ時間が長くなる」

という未知の負荷に対して、知らず知らずのうちに身体が備えていたのです。

脳が絶えず身体に対して警戒信号を発し続けていたのが、その必要がなくなったために、そのためのエネルギーをほかに回すことができるようになった、その解放感です。

これを知っておくと安心できる

タスクシュートでも同様です。

最終的に何時に帰れるかがわかるがゆえに、安心して目の前の仕事に全力投球できるのです。

何時に終わるかわからない、となれば脳は自動的に「節約モード」に入り、どんなにがんばろうと思っても、思うに任せなくなります。

蛇口をひねってもチョロチョロとしか水が出ない状態です。景気よくドバドバ出してしまうと、後で足りなくなって困るからです。

「少なくとも今日については心配する必要がない」

さらには、

「今後もしばらくは心配する必要はない」

というように仮でもいいので、とにかく「見通し」を持つこと。

このことの重要性が改めて腹落ちしました。

腹筋だけに。

プロセスを省略することができない

筋トレと言えばこの本のことがまっさきに思い浮かびます。トレーニングは仕事に相通じるところが多いですね。

「生命」や「身体」に関するものは、すべてプロセスを省略することができない。いずれは科学で短縮されるのかもしれないが、いまのところ赤ん坊が生まれるまでにはどうしても10ヵ月かかる。5ヵ月に縮めたいといっても無理だ。

農業なども、そういう気の長い仕事である。技術で促成栽培するにも限度がある。米も野菜も果物も、多くの農作物は収穫までに長い時間を必要とする。

プロセスの重要性、粛々と努力を積み重ねることの重大さに気づくだけでも、トレーニングをする意味はある。