倉下忠憲さんの『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』に次のような一節があります。
「自分が読者ではいられないこと」。
それが〈自分のブログ〉の軸となりえます。
〈自分のブログ〉とは、実際にどこかのサーバに存在するデジタルデータではなく、「自分のあり方」を決める核となるようなものと考えられます。
色も形もなく、従って目には見えず手で触れることもできませんが、それを失ったら自分のブログではなくなってしまうような何か、ということです。
「読者ではいられないこと」とは、それについて黙っていられないこと。もっと言えば、「おかしい」「間違っている」「あいつの言うことを信じるな」という抑えられない感情がとめどなくあふれ出てくるテーマです。
何か一言でも二言でもいわずにはおれない、そのマグマが書くためのエネルギーでありブログの核になるわけです。
逆に「読者でいられる」とは黙っていられるということ。「どうでもいい」「好きにして」「いつか教えてください」という手放しのスタンス。
「イラッ」と来たら、あなたの出番
最近ある方とのコンサルティングの中で以下のようなやり取りがありました(一部脚色しています)。
相手:新聞記事を読んでいても、
「記者は、ちょっと勘違いしているんじゃないか?」
「これは誤解を与えかねない表現だ…」
と思うことがよくあります。大橋:あ、来ましたね! その感情が大事です。
「イラッ」と来たらあなたの出番、なのです。
ほかのことは気にならないのに、あることについては放っておけない。
その「あること」こそがテーマの源泉になります。
ブログもしかり、事業もしかりです。
根底に確たる核としての「イラッ」があって初めて、そこから推進力が生まれます。
ブログであれば、書き続ける理由になりますし、事業であればお金以外のモチベーションになります。
間違った考え方が広がっていくことに耐えられない、だから自分が発信する、あるいは事業を起こすことを通して食い止めよう、とするわけです。
もちろん、それで完全に食い止め切れるとは限りませんが、それでもいいのです。
旗を立てるようなもので、同じように感じていた人たちを集めることができます。集まる人の数は多いにこしたことはありませんが、数よりも何よりも「同志」が得られることのほうが強いやりがいを感じられるでしょう。
たとえ超小規模なレベルであったとしても、何らかのインパクトを自分が世の中に与えることができている、という手応え・実感です。
そういう意味で、アウトプットは「怒り」から始まるといってもいいでしょう。
決して「喜び」ではない。
「好きを仕事にする」のではなく、
「放っておけないから必然的に仕事になる」わけです。
以下の記事でいうところの「バリュー」は「怒り」のエネルギーを得て成長していきます。
» 「好き」を仕事にするうえで時間をかけて考えておくべきこと
最後に
現在運営しているブログあるいは個人で仕事をしている方であれば事業。
その根底に「イラッ」はありますか?
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