あらゆることに「どうせやるならの罠」というものがあります。
ブログにおいてもしかりです。
どうせやるなら、アクセスを集め、注目され、人気者になった方が楽しい。
(中略)
無理して着飾った「自分」で人気者になっても、最終的には疲れるだけです。
突き放したような言い方に聞こえますが、この「疲れないようにする」ことがあらゆることを続けるための秘訣といえます。
なぜ「続ける」のかといえば、「続ける」ことによってしか、いかなる成果も得られないからです。
疲れずに、欲を言えば楽しく、続けられることを見つけて、これを淡々と続けることができれば、複利で増え続けていく定期預金の残高のように、えんえんと成果を手にし続けることができます。
では、そんな金の卵を産み続けてくれるガチョウを見つけるにはどうすればいいか?
ブログ原論とケーススタディ
本書に先立って、倉下忠憲さんの以下の2冊を読んでいました。
- 『ドラッカーに学ぶブログ・マネジメント』
- 『コンビニ店長のオシゴト』
前者は、もし倉下教授がR大学で「ブログ原論」という授業が持つなら、その教科書として採用されるであろう一冊。
後者はタイトルからは想像がつきづらいのですが、ブログを運営していくうえで参考になるケーススタディとして読むことができます。
ブログ原論としての『ドラッカーに学ぶブログ・マネジメント』
ブログを始めるにあたって、心構えやスタンスを決めるうえで役に立つ一冊です。
講義は「ブログの目的とは何か?」という問いかけから始まります。
ブログの目的とは何か?
それは、読者を創造すること。ドラッカーの「企業の目的は顧客の創造である」の「企業」を「ブログ」に置き換えています。
アンチ・ユーザーをユーザーに変えるのではなく、そもそもユーザーという概念が存在していなかった世界に、ユーザーという概念をもたらすこと。それが「顧客を創造する」です。
ブログではどうでしょうか。
- 「この情報が欲しかったんだ」
- 「こんな面白い記事が読みたかった」
- 「そんな視点もありうるのか」
こうした体験ができていれば、「読者を創造している」と言えるでしょう。
これに続く問いかけは、ブログとは何か?
ここでもドラッカーの「企業とは何かを決めるのは顧客である」をもとに、「ブログとは何かを決めるのは読者である」とします。読者からスタートせよ、というわけです。
では、そのためには何をすればいいのか?
ヒントとなるのは以下。
「自分はこういう記事を読みたい」と思うものを書いています。逆に「こういう記事は読みたくない」というものは書きません。
(中略)
自分が情報を探した → 後から探す人も同じような道のりをたどるだろう → じゃあ、まとめておくか。
まさしく「顧客の創造」です。実際、そういう記事はよく読まれます。
ケーススタディとしての『コンビニ店長のオシゴト』
本書は、タイトルからは想像できませんが、ブログ運営における「読者からスタートする」の実践事例として読むことができます。
コンビニ経営において倉下店長が過去に実際に行った取り組みが紹介されているのですが、この取り組みにおける試行錯誤の過程、そしてそこから得られた思わぬ成果という構造は、そのままブログ運営にも応用できます。
店長として、カードゲーム売場の拡充に取り組む
結局本部の推奨を大幅に上回る発注を行い、大々的に展開することにしました。
本部はたいした販促物を送ってこなかったので、ウェブサイトから画像をコピーしてPOPを作ったり、簡単なルール説明をプリントアウトしたものやゲームで使うプレイシート(これもプリントアウト)を無料で持って帰れるように売場に設置しておきました。
(中略)
結果、そこから一ヶ月ほど、うちのお店のカード商品カテゴリーは売り上げトップでした。近所のコンビニの中でのトップ、ではなく、統括地区(京都北とか、京都南とか)でのトップです。客数や店舗規模による数字の調整は一切無く、ただ単に金額ベースで一番売っていたのです。
田舎のコンビニが、都市部のコンビニに(一カテゴリーだけであるにせよ)勝ったわけです。
勝因は何か?
私自身が(それともう一人のアルバイトスタッフが)カードゲーム好きである、という点はどうしたって埋められません。
つまり、「どのゲームが面白いのか」「新しいシリーズは何が注目なのか」を分かっている人間がいる、ということです。そういう人間とそうでない人間が作る売り場は明らかに違います。
それを好きな人が見たときに、「おぉ~、このお店分かってるな」という雰囲気が漂うか、漂わないかの違いが出てくるわけです。
で、その違いは「あのお店行こうぜ」という話題に上りやすいのか、そうでないかの違いにもつながってきます。
単に「売れる商品」ではなく「自分でも欲しいと思える商品」だからこそ、おのずと熱が入り、その結果として売れるわけです。
アクセスを集めやすいテーマではなく、自分が読みたいと思えるテーマだからこそ、おのずと熱が入り、その結果としてアクセスが集まる、という共通した構造がそこに見て取れます。
» コンビニ店長のオシゴト: ~個性的なお店の作り方~[Kindle版]
続けた先にいったい何が得られるのか?
前2作が主に「運営」に重きを置いていたのに対して、新刊の『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』は「続ける」に力点が置かれています。
続けた先にいったい何が得られるのか?
これが明確にならないと、早晩続かなくなってしまうでしょう。書き続けているのに思うような成果が得られずにいるとしたら、なおさらです。
この問題について考えるときに思い出すのが、ジャパネットたかたの高田明社長の以下の言葉。
今からちょうど10年前に書いた記事に残っていました。
その時その時を一生懸命やる。やっているものはなんでも面白ければハマってしまう性格だから、あまり先のことは考えていない。10年後、20年後を考えても人生はわからない。むしろ考えない方がいい。
今この2,3年にいろいろな人に会って、いろいろな本を読んで、いろいろな経験をしていけば、それで人生が変わっていきますよね。だから、あまり先のことを悩むより今のことをやればいい。
儲かるからやる、というよりはやってみたら面白かったからどんどんやる、という感じなんです。
ここにもまた同じスタンスが見て取れます。
「売れる商品」ではなく「自分でも欲しいと思える商品」を売る。
アクセスを集めやすいテーマではなく、自分が読みたいと思えるテーマで書く。
そして、儲かるからやる、というよりはやってみたら面白かったからどんどんやる。
「続けた先」を考える間もないくらいに「目の前」に没頭できる、そんなテーマを見つけることが、「続けた先にいったい何が得られるのか?」問題の唯一の解決法ではないかと考えています。
なぜなら、「続けた先に○○が得られます」という「○○」は続ける前の段階では分からないからです。
決まっていない、といってもいいでしょう。
もっと言うと、続けることで新たに生じうるものであるがゆえに続ける前の段階では分からない、のです。
書き続けてみて初めて分かることがある
例えば、倉下さんは『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』の中で、以下のような「発見」について書いています。
こうした記事を書いてみて、私は一つの発見をしました。
それまで、ノートや手帳の使い方を工夫することは私にとって「当たり前」のことでした。何か特別なことをしているつもりはなかったのです。
しかし、それをブログに書いてみると、面白がってもらえる。あるいは楽しんでもらえたり、誰かの役に立ったりする。そういうことが起こりうるのだ。そんな発見をしたわけです。
もしこれが「書き続けることで、こんな発見が得られます」と約束されていたとしたら、それはオチの見えている推理小説を読むようなもので、続かないでしょう。
『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』を読んで、僕が考えたこと
奇しくも、僕自身も今年でブログを10年続けたことになります。
倉下さんのように毎日欠かさず更新はできていませんが、とにかくブログメディアとして運営を続けることで、10年前に始めた時点からは仕事も生活も大きく変わりました。
ブログを続けるということは、自分の中において他と比べて突出したポイントを見つけ、これをさらに引き延ばしていくことではないかと考えています。
自他ともに認めるわかりやすい突出ポイントもあれば、上記の倉下さんのように、しばらくブログを書き続ける中で「発見」できるポイントもあるでしょう。
あるいは、最初は「これだ!」と思ったポイントであっても、それは「気のせい」に過ぎず、ほかにもっと強く「これだ!」と思えるポイントが埋もれていることもあります。
そんな埋もれた突破口を発掘するためにも、やはり「続ける」しかありません。
幸いなことに、「これだ!」 → 「違った…」を繰り返すほどに目が肥えてきますから、少しずつであれ確信に満ちた自分の核心に近づくことができます。すなわち自己革新です。
どうせやるなら無理なく続けられる形で。
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