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最後まで本を読むための読書ノート術

By: Texas State Library and Archives CommissionCC BY 2.0


佐々木正悟 積ん読が気になる、という人はいるでしょう。とりあえず本は買ったモノですし、途中でやめたり、もしかして最初からまったく読んでない本が目の前にあるというのは、単純にお金のムダをした気になるかもしれません。

積ん読が気になる人というのは、お金がもったいなかった、などとはあまり思っていない気もしますが。

今回お話しする読書ノート術というのは、しょっちゅう耳にするまっとうな読書ノートについて、どうも自分が共感できないから書くことにしました。

まっとうなノート術については、梅棹さんの『知的生産の技術』で確認してください。こちらに書かれている内容が、現実的でかつ、「後で活用する読書ノート」を作る上でもっとも参考になります。

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本を読んでいるときの日記を残す

この記事で書きたいのは、これとはだいぶ違います。簡単に言うと、本について日記を書いて、それを読書ノートにしてしまう、というものです。

イメージしにくいかもしれませんが、要は、本の中身についての情報を残すのではなく、読書の「周辺環境」についての情報を残しておくという意味です。

情報と言うより、思い出を増やしていくといった方がいいかもしれません。

特に小説のようなものに、これは後々きいてきます。私は、圧倒的な電子書籍支持派ですが、これがやりにくくなるのが電子書籍の現状抱える一番の問題だと思うくらいです。

たとえば、小説に、栞として写真を挟んでおく。
あるいは、子どもに落書きさせる。
あるいは、紙幣を挟んでおく。
あるいは、交換した連絡先をメモしておく。

その本と、写真や紙幣(特に現行では使用していない紙幣などを見つけると面白いです。テレカなどもいいですね)にはなんの関係もなくても、記憶の中では関連付きます。非常に個人的なものであるので、印象が記憶に定着するものです。

途中まで読んだ本だとしたら、そこから続きを読み出したくなることがあります。その時、栞を動かしたくなくなります。それが記憶の年輪のような意味を持ちます。

そのような栞に似た機能として、日記が使えるのです。日記に、本のことなど書くことはないのです。書いてもかまいませんが。

しかし、読書中の本のタイトルは、書くようにします。積ん読本もです。むしろ積ん読本こそです。

そうするとその本は、半ば積ん読本ではなくなります。読むのを挫折した本ではなく、「依然として読書中」になるのです。私は本を読み通す上で、これは重要な意味を持っていると思います。

本の周辺情報というのは、私と本がどう関わっているかの痕跡に相当するものです。その種の情報を多く残せば残すほど、結局本と自分との関わりはつながっていくものです。そのつながりがある限り、読書は継続されていると言えます。

この話は人間関係にも似ていて、友達が多い人というのは、結局、マメなものです。社交的な人は友人の人物データベースを構築している人ではなくて、関わりへのケアを忘れないのです。

人生のどんなときの、どんな人と関係しているときに、見つけて読んだ本なのか。それを記録していくノートというわけです。