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ノマドワーカー第0章:006ブログで満点を狙わない

この連載に書いていることは「ノマドワーカーに限った話ではない」と指摘されることもしばしばですが、それはそうかもしれません。

ただフリーランスであっても、単なる懐かしの「モバイラー」であっても、行動の自由を拡大している点で共通しています。「自由が拡大している」点こそ、ここで取り扱いたいテーマです。

たとえばお金の問題は、とても自由な人でもかなり制約されている人でも等しく大事な問題で、ちゃんと管理した方がいいものですが、自分の自由裁量の幅が広いほど、より「管理する意義」は高まり、「管理しないリスク」も大きくなります。

時間についても全く同じことが言えます。

そして今回のテーマである「自己イメージ」についても同じことが言えます。
私達の「自己イメージ」、ここでは「私が自信を持っていい程度」から「私が落ち込むべき理由」までの幅は、トータルで見るとかなり広いと言えます。

100点を目指す人は何も出せなくなる

「自分」というものを客観的に見るのは大変難しいことです。あるいは不可能と言えるかもしれません。

そのせいかどうしても心理的な調子の良さに「自己イメージ」というものは強い影響を受けます。調子のいいときには万能感があります。何でもできるような気になってついたいそうな計画を立てがちになります。

ブログなどの情報発信は「自分の自由になる」ので「妥協したくない」と思いがちです。スタート直後くらいまではそれでも何とかなりますが、そんなモチベーションがずっと続くものではありません。

ブログはまだしもたとえば「最初の本を出す」となると「できるだけ完璧な、100点満点の本」を出そうとするでしょう。第1作目から「60点の本を出す」と考えられる人はたぶん天才です。

しかし書籍にせよブログにせよ「やっているうちに上手になる」のは何でも同じです。最初は誰だって素人です。車の運転のことを思えばすぐ分かります。仮免を「100点で受かった!」と思っていても、10年経ってから振り返れば「事故を起こさなかったのが奇跡」みたいな運転しかできないものです。

人は「100点でなければならない」と考えた時、なにもできなくなるのです。

なるべく正確な自己像を情報としてもって歩く

しかし私がいいたいのは「ブログは文章トレーニング」ということでも「書籍を出すための練習の場」ということでも「成長のための訓練」ということでもありません。

そういうこととなにも関係なくてもブログというものは便利なツールなのです。ブログに毎日個人的な発見を記録していくと、過大評価でも過小評価でもない自己イメージを、リアルタイムで把握することができるのです。これが自由に仕事をする人には欠かせません。

本が売れれば自信が持てるし、売れなければ自信を喪失する。ブログで評価されれば嬉しいし、ネガコメには傷つく。そういうことは自由に仕事を続ける限り一生続きます。

そんな風に揺れる自己評価をそのまま真に受けてしまうと、仕事が止まります。自由に仕事をしている人にはこれほど危険なことはないのです。信用も収入源も一気に失いかねないからです。

どう評価されようと「自己の能力」はそんなに急に上がったり下がったりするはずがありません。誠実に記録し続けているブログほど、等身大の自己というものをよく教えてくれるものはありません。急にいいエントリは書けないけれど、二日酔いだったり寝不足だったりしたときに書いても、そんなにひどくはならないものです。

つまりそこに「等身大の自分」がいるのです。その「自分」にならできそうなことは今後もできるでしょうし、その「自分」にはできそうにないことは、そうそうできないものです。