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メモ帳を装備するために必要なこと(上)

倉下忠憲
以前の記事「アウトプット元年に向けた、3つのアドバイス」でアウトプット力を引き上げるために持った方が良い3つのものを紹介しました。一つは「メモ帳」、もう一つは 「アイデアノート」、最後が「連載」です。

なかでも「メモ帳」の大切さは、書いても書きすぎということはありません。おおさげさな言い方をすれば、人の記憶の力を補助するのが「メモ帳」の役割です。それを積極的に使っている人と、そうでない人の差異は長期的にみて大きなものになっていくでしょう。

しかしながら、メモ帳を持っていても、なかなかページが進まないという話を聞くこともあります。

片方では「メモ帳」を持ってどんどん書き付ける人がいて、もう片方では「メモ帳」を買ってみたもののページは真っ白のまま、という人がいます。これはもちろん「メモ帳」の差ではありません。良いメモ帳を使っているとかいないとかではなく、「メモ帳」を装備できているかどうかの差です。

メモを装備する

RPGなどでは、購入した武器をそのまま所持アイテム欄に入れておくだけでは、戦闘中に使うことができません。親切な武器屋さんが買ったときに装備させてくれることもありますが、たいてはコマンドメニューで「装備する」を選ぶ必要があります。

一度装備さえしてしまえば、あとは特に意識する必要はありません。「たたかう」を選べば、その武器で攻撃してくれるようになります。これが単に所持しているアイテムと装備品の違いです。

「メモ帳」に関してもこれと同じことが言えます。どんどん書き付けていける人は「メモ帳」を装備できていて、そうで無い人は単に所持品リストにそれが並んでいるだけの状況です。では、「メモ帳」を装備しているというのは一体どのような状況を指すのでしょうか。

メモ帳の機能

「メモ帳」の役割は「思い出したいことを書き留めておく」ことです。これが一番広い定義になるでしょう。これを二つに分けると、

  • 「外にある情報を後から思い出すためにメモする」
  • 「自分の頭の中に浮かんだものと再会するためにメモする」

になります。

前者は、例えば電話をしているときに、電話番号や住所を卓上メモに控えるというような使い方で、後者であれば、歩いている時にふと「メモ帳を装備しているというフレーズはなかなか良いな」と思いついた時に、「メモ帳を装備する」と手帳に書き付けるような使い方になります。

どちらにせよ、「何かしら大切」だと判断した情報を後から参照するために「メモ帳」を使うわけです。

脳にメモを装備する

上の点を踏まえると、メモ帳が装備できている人というのは、「この情報が何かしら大切」→「メモする」という行動が習慣になっている人と言えます。つまり情報に何かしらの大切さを感じたときに、特に意識することなくメモ帳に手が伸びるという状況が「メモ帳が装備できている」状態です。

「メモ帳」は手に持って使うものですが、ソードのように手に装備するものではありません。それは脳に装備するものです。

情報に触れたり、アイデアが閃いたときに、「これは大切かもしれない」→「でも覚えておける自信が無い」→「メモ帳に書いておこう」という瞬間的なプロセスが無意識に流れていれば、メモ帳を脳の外部出張所のように扱えます。

逆からみれば、この一連の流れが出来上がっていない状況でいくら「メモ帳」を手に持っていたとしても、有効に活用するのは難しいかもしれません。

先ほどのプロセスの中で「メモ帳に書いておこう」の部分は「メモ帳」を常備していければ対応できます。ただし「メモ帳に書いておこう」の後に「どのメモ帳にしようか」という判断が必要ならば、頭の中に浮かんだことなんかは消えてしまうかもしれません。そこに迷いが生まれないように、まったく同じツール、あるいは状況ごとに単一のツールを使ったほうがよいでしょう。

問題は「これは大切かもしれない」という判断と「でも覚えておける自信が無い」という認識です。

メモの重要性を認識

逆説的なようですが、「これは大切かもしれない」という判断と「でも覚えておける自信が無い」という認識はメモをとる習慣がないと身につけにくいものかもしれません。

メモを取る習慣のある方ならばご存じでしょうが、人は本当によく「忘れ」ます。一週間分程度でも手帳・メモ帳・Evernote・Twitterを見返せば、あまりに自分が忘れていることに気がついて愕然とするでしょう。

外の情報を忘れてしまったときは、その事実に気がつかされることが多くあります。例えば電話番号でも、実際に電話をかけようとしたときにメモを取っていなければ、「電話がかけられない」という状態に陥ります。何度かそういう体験をすれば、メモする必要性に気がつきやすくなります。

しかしながら、自分の頭の中だけに浮かんだことについては、「忘れている事実」を突きつけてくるものがありません。メモをしておかなければ、何かを忘れているという認識すら発生しないのです。

また何かを忘れるかも知れないという前提があるからこそ、「これは大切かもしれない」という判断が生まれてきます。もし全ての記憶を完璧に保持できるならば、情報の取捨選択など必要ないでしょう。しかしそういう人の存在は稀です。

思いついた事を放置してしまえば、消えて無くなると思うからこそ、「これは残して置きたい」という判断をすることができるわけです。

もう一点付け加えるとすれば、自分の「思いついたこと」に価値があるという前提もメモを取るためには必要です。自分の頭の中に浮かんだことの中にも「これは大切かもしれない」というものが含まれているという認識が無いと、「自分の頭の中に浮かんだものと再会するため」タイプのメモを取る動機が生まれません。

しかしながら、これも一度自分が取ったメモを見返すことで初めて確認できることです。

さいごに

まとめて考えてみると、「メモ帳」を装備するためにはメモを取ってみるしかない、という結論になります。不毛な結論のように見えますが、そういうわけではありません。

これは、今までまったく「メモ帳」を使っていなかった人がこれから「メモ帳」を使い始める場合は、「メモ帳」を装備できている人と同じ感覚では無理があるということです。「メモ帳」を体の一部分みたいに使っている人は、いちいち「よし、メモしよう」とは考えておられないはずです。頭の中に何か浮かんで、脳に何かしらの負荷を感じたら、自然とメモ帳を取り出す、こういう行動が無意識に起きているはずです。

こういう状況になれば、自分の着想を取り逃がすことはないでしょうが、いきなりこのレベルを目指すというのは無理がありそうです。

そうすると、最初は意識的にメモを残す行為が必要になってきます。メモを残す、それを見返す、意外な発見、メモを残す、それを見返す・・・それが積み重なっていけば、メモを取るという行為に脳がなじんできます。

では、どのようなメモを意識的に残していけば良いのかについてはまた次回。

▼関連エントリー:

アウトプット元年に向けた、3つのアドバイス 

▼今週の一冊:

英語の参考書というわけではなくて、「グロービッシュ」という概念の紹介が中心になっている本です。限られた単語、シンプルな構文だけで英語を再構築して、多くの人の意思交流のツールにしようという運動とも言えます。

この本は「グロービッシュ」について知ることもできますが、それ以上に「多くの人に伝わりやすい文章とはどのようなものであるか」という示唆も得られます。日本語の文章でも、難解な単語や複雑な構文で意味が取りにくい文章というのは存在しています。情報を伝達するという機能を持った文章としてはいささか適正に欠けます(あまり人のことはいえませんが)。

日本語でのわかりやすい表現について、違った角度から考えてみるのもよいかもしれませんね。


▼編集後記:
倉下忠憲
 なんだかんだで、締め切りAと締め切りBが並行して進んでいます。

こういう時の作業の立て方はなかなか難しいですね。作業A→作業B→作業Aと切り替えながら進めると、「作業飽き」の防止にはなるですが、両方とも原稿書きの作業だと頭の中のスイッチをほいほいと切り替えるのは結構難しいものがあります。

日常的に複数の本を並行して執筆されている方はどのようなやり方をしているんでしょうか。なかなか興味あるテーマです。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。