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疑問を持つこと | Aliice pentagram

倉下忠憲

» 前回:知的作用の基礎 | Aliice pentagram

前回は、知的作用の基本的な五要素について紹介しました。今回はその一つ目の要素である「疑問を持つこと」について考えてみます。

思考の駆動力

「疑問を持つとはどういうことか?」

という風に、疑問を持つことは思考の駆動となります。仮に、どんなものにも疑問を持ち得ない存在がいたとしてみましょう。その存在は、すべてに納得しているはずであり、それが本当の全知であるか単なる妄想なのかに関わらず、その存在が何かを発見したり、思いついたりすることはないでしょう。

ある対象を見たときに、「これって何だろう?」「どんな意味があるんだろう?」「なぜ生まれたんだろう?」「ほかにどんなことが起こるんだろう?」と感じてしまうこと。それが思考を突き動かすエネルギーともなりますし、実際に思考を展開していく上でも有用な道具となってくれます。

疑問という道具箱

その意味で、「いかなる疑問を立てられるのか」が、思考の切れ味を決定付けます。「鋭い問い」といった表現がありますが、まさに疑問は鋭い刃で対象を削り取り、えぐり出し、切り刻む効果を持っています。思考の外科手術は、問いというメスを持って始まるのです。

とは言え、メスとナイフとのこぎりがそれぞれ違うように、問いにも違いがあります。一種類の問いだけを持っていれば、すべてがうまく──なんてことはなく、むしろさまざまな形状や性質の問いを道具箱のようにストックし、適宜使い分けるというスタイルが良いでしょう。

「疑問を持つこと」が出発点にあるとして、

「疑問を持つこととは何か?」→「疑問とは何か?」

のように、根源に至るような問いの立て方もありますし、

「疑問を持てばどうなるのか?」
「疑問を持つためにはどうすればいいのか?」

のように効能や因果を探るような問いの立て方もあります。

「疑問を持つのに似た行為は何か?」
「疑問を持つことを別のことで喩えればどうなるか?」

といった横方向、水平方向、発展方向に問いを立てることもできます。そして、これら以上が目の前にある情報に「知的作用」を与えることでもあるのです。

セルフフィードバック

それだけではありません。疑問を持つことは、強度を担保する上でも重要な意味を持っています。

たとえば、「疑問を持てばどうなるのか?」という問いを立て、自分なりにその答えを出したとしましょう。一件落着──なのですが、そこで「でも、これって本当だろうか?」とさらに問いを立てればどうなるでしょうか。自分の考えに不備が見つかるかもしれません。あるいは、前提からして間違っていたことに気がつくことすらあるでしょう。

しかし、そうやって確かめるからこそ、OKサインが出たものに関してはある程度の信頼が、別の言い方をすれば思考の強度が担保できます。仮にそれをしないで、疑問を持つ→答えを出す→納得する、で終えてしまうと、「知的作用」は一周分しか回らなかったことになります。量として少ないのです。

問い立てから答えの提出の中に、さらなる問い立てを加えることは、ある種のフィードバックループを加えることを意味します。そしてその構造は、シンプルなものから複雑なものを生み出す力を持っています。何度もループを回すなかで、「知的作用」が多重に発動し、思いもよらないものが──それはたいてい新しいものでもあります──生まれてくる可能性が高まるのです。

「知的作用」を、単なる思い付きから(これだって知的作用の産物ではあります)、重厚な思考へと移行させるのは、こうしたループをぐるぐる回す行為だと言えるでしょう。

さいごに

「疑問を持つこと」は、知的作用の出発点であり、ある種の深みを持たせるために必要な行為でもあります。

しかし、それは実は簡単なことではありません。冒頭で、「全知」(あるいはそう勘違いしている)存在を仮説しました。でも、それは仮説ではないのです。専門家の誤謬といったこともありますが、私たちはついつい「知っている気」になり、目の前の現象に納得して、疑問を持たずに、そのまま進んでいこうとしてしまいます。

あるいは、疑問に対する答えが誰か提示されたら、それをそのまま飲み込んでそそくさと次の場所へ移動してしまうようなこともあるでしょう。疑問→納得でループが終わり、多重的に深まっていかないのです。自分で直感的に思いついた答えを、そのまま真実のように受け入れてしまうことだってあるでしょう。忙しい情報社会ならば起こりがちな現象なのかもしれませし、フィルターバブルといったことがそれに拍車を掛けていることも考えられます。

少なくとも、一つ言えることは、疑問を持つためには、自分がその対象についてすべてを知っているわけではないと認識することが必要です。極言すれば、無知であることを認めなければいけません。難しいのは、これです。情報が簡単に手に入る現代では、さらに難しさはアップしているかもしれません。

さて、以上を読んで何か疑問は発生したでしょうか。そうであったら嬉しいのですが。

▼今週の一冊:

タイトルからすると、大学生活の指南書、という印象を覚えますが、むしろ「市民と学問」的な趣のある本です。あるいは学問的自己啓発と言えるかもしれません。とは言えアカデミズムのど真ん中、ということもなく、一人の探求者の人生が語られている本です。

» 大学でいかに学ぶか (講談社現代新書)[Kindle版]


▼編集後記:
倉下忠憲



出版ギリギリ直前の本読みをしています。ゲラ的に言えば、四校目あたりでしょうか。それでもまだまだ細かい直しがたくさん残っています。とりあえず、今月中に電子書籍の出版は達成できそうです。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。


» ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由