レパートリーキャストという言葉をご存じでしょうか。
この言葉を初めて知ったのは、「アメリカン・ホラー・ストーリー」というシリーズドラマにおいてです。
» アメリカン・ホラー・ストーリー: 呪いの館 シーズン1 (字幕版)
同ドラマのウィキペディアに以下のような記述があります。
2012年11月、FXのチーフ・エグゼクティヴのジョン・ランドグラフはシリーズのユニークなフォーマットについて「レパートリーキャストを持ったミニシリーズのアンソロジーシリーズという概念は画期的であると証明され、大成功し、そして新たな流行となるだろう」と語った。
※原文はこちら。
この中の「レパートリーキャスト」という言葉に目が留まったのです。
「どういう意味だろう?」ということで調べてみました。
先に書いておくと、「レパートリーキャスト」という言葉自体は日本語での用例が見つけられませんでした。従って、本記事においては現時点における暫定的な理解をもとに書いています。「レパートリー」という言葉を改めて調べていく中で、「レパートリー」な「キャスト」なのだから、おそらくこういう意味合いであろう、という。
「レパートリー」とは何か?
まず、「レパートリー」ですが、明鏡国語辞典第二版による定義は以下の通り。
1.演奏者・楽団・劇団などがいつでも演奏・上演できるように用意してある曲目や演目。上演目録。
「━の広いギタリスト」
2.その人が得意とする種目や領域。
「料理の━がふえる」
言い換えれば「持ちネタ」とか「十八番(おはこ)」ということになるでしょうか。「いつでも演奏・上演できる」というニュアンスから「定番メニュー」という連想も浮かんできます。
牛丼ではありませんが、良い意味で「うまい・安い・早い」、すなわち安定感や安心感といったポジティブなイメージが「レパートリー」という言葉にはある、と言えるでしょう。
「レパートリーキャスト」を考える
「レパートリー」が安定感や安心感をもたらしてくれるなら、「レパートリーキャスト」は安定感や安心感をもたらしてくれるキャスティング(配役)と考えることができます。
では、キャストがレパートリーであるとはどういうことか?
先ほどの定義の中に「演奏者・楽団・劇団」という言葉がありました。シリーズドラマであれば、そのシリーズドラマという舞台がこれにあたるでしょう。シリーズすべての作品を一人の監督が受け持っているなら「その監督の作る作品」がレパートリーが展開される土台になります。
レパートリーキャストとワンタイムキャスト
さて、「アメリカン・ホラー・ストーリー」は、現時点でシーズン5まで制作されているのですが、各シーズンはそれぞれに異なる世界観の物語となっており、いわゆる続き物ではありません。
例えば、続き物である「24 TWENTY FOUR」シリーズであれば主人公ジャック・バウワーを演じるキーファー・サザーランドは全シーズンにおいてジャック・バウワーを演じています。
シーズン途中で命を落としたキャラクターはその後のシーズンで再登場することはありません、回想シーンを除いては。「24 TWENTY FOUR」の場合は、しかし、「物語はリアルタイムに進行する」という絶対不変の法則に従って制作されているため、回想シーンは皆無であり、また時間軸が戻ることもないので、きわめて「厳しい」といえます(この、時間の流れを止めることができない、という制約が物語に緊張感とスピード感を生み出し、ついつい観続けてしまう原動力になっています)。
» 24 -TWENTY FOUR- シーズン1 (字幕版)
一方、続き物ではない「アメリカン・ホラー・ストーリー」では、同じ俳優がそれぞれのシーズンごとにまったく別の(シーズンごとに世界観が変わるので当然ですが)役を演じることができます。
シーズンごとに物語が完結するということは、ある俳優が仮にシーズン1で命を落とす役を演じたとしても、シーズン2では別の役で“復活”することができる、ということです。
観ている側としては「あ、あの俳優は今回はこういう役で登場するんだ!」という楽しみが生まれます。特定の劇団の別の演目を観に行ったときの感覚に近いと言えます。
ここまでを整理すると以下のようになります。
続き物である(例えば、「24 TWENTY FOUR」)
- 一人の俳優は同一シリーズを通して同じ役しか演じることができない
- =ワンタイムキャスト
続き物ではない(例えば、「アメリカン・ホラー・ストーリー」)
- 一人の俳優は同一シリーズにおいて異なる役を演じることができる
- レパートリーキャスト
ワンタイムキャストというのはレパートリーキャストに対する、今ひねり出した言葉に過ぎませんが、要するに一回限りのキャスティングということです。
一方、レパートリーキャストは世界観は異なるものの、同じシリーズにおいて、あるいは同じ監督のもとで繰り返されるキャスティングです。
俳優の視点で考えると、キャリアを積んでいくうえでは同じシリーズあるいは同じ監督のもとでレパートリーキャストとして仕事を続けるほうが効率が良いでしょう。
そういえば、伊丹十三監督(「お葬式」、「タンポポ」、「マルサの女」、「ミンボーの女」など)や三谷幸喜監督(「THE 有頂天ホテル」、「ザ・マジックアワー」、「ステキな金縛り」など)の監督作品はいずれもレパートリーキャストが多数登場していることに気づきます。
作品としては別でも、同じ監督の作品であるということがレパートリーキャスト、さらにはレパートリースタッフという安定した制作体制に寄与しているはずです。
レパートリータスクとワンタイムタスク
レパートリーキャストという考え方は、一般の仕事に当てはめるなら、信頼のおける選りすぐりのチームメンバーとともに繰り返しプロジェクトを回していく、ということになるでしょう。
すでに関係性が確立しているので、「うまい・安い・早い」が実現できるのです。
個人のタスク管理に当てはめるなら、繰り返し実行しているリピートタスクです。
これまでに何度も実行してきているので、どれくらいの時間がかかるのか、どの時間帯に行えば最も効率がいいのか、どのような手順で進めればいいのか、といった勘所が明確なので、やはり「うまい・安い・早い」という安定感や安心感が得られやすくなります。
一方、ワンタイムキャストは、まだやったことがない仕事ということになりますから、どうしても不安がつきまといます。
とはいえ、いつもレパートリーキャスト方式で回していては、いずれマンネリに陥ってしまいます。
「アメリカン・ホラー・ストーリー」にしても、伊丹十三監督作品にしても、三谷幸喜監督作品にしても、当たり前ですが、全キャストがレパートリーキャストで固められているわけではありません。毎回必ず、新しいキャストが登場します。すなわち最初は誰しもワンタイムキャストとして登場するわけです。
文字通りワンタイムのみで終わってしまう俳優もいれば、演技が認められて晴れてレパートリーキャストに“昇格”する俳優もいるでしょう。
一方で、レパートリーキャストから外れる俳優もまたいるはずです。
個人のタスク管理で考えると、レパートリータスク(=リピートタスク)で仕事の中核を回しながら効率を高めつつ(=時間を生み出しつつ)、一定割合のワンタイムタスク(=新規タスク)を投入することで、マンネリを予防する、という構造が浮かび上がってきます。
初めはワンタイムタスクのつもりで取り組み、うまくいったものはレパートリータスクとして取り立てていく、というタスクシュートは、言ってみれば「レパートリータスク方式」と呼べるかも知れません。
すべてを記録に残すことで、後からでもレパートリー化できるタスクをピックアップすることができます。レパートリーを充実させやすい仕組みになっているわけです。