購入から約639日目にして、MacBookPro13が壊れてしまいました。
ほぼ1日中働き通しで、2年弱健康だったのですから、長いと見るべきかもしれませんが、AppleCareが3年保証となっているのも、頷ける気がします。
今回、修理して使い直すことから、新しいMacBookProの発表を信じて待つこどなど、いろいろ心がさまよったあげく、Mac mini を買うというありきたりの結末に至った、その経緯などを書いてみます。
ディスプレイを持っていた
これまでは、MacBookPro一台で仕事の大半をまかなってきていたのが実情でした。もちろん、新しい12インチのMacbookを購入してからは、外出時はだいたい「新しい」のほうを使うようにしていますが、そうはいっても非力です。1kgを切る軽量の12インチは素晴らしいですが。
家では、ほとんどMacBookProばかりです。しかも私は、リビングで仕事をまずしないので、書斎から動かないのです。となると、一番合理的なのは、MacBookPro13に外付けディスプレイをつなぐことでした。そして、必要なときには取り外して使い、場合によっては、外に持ち出せばいいのです。
これはだいたい想定通りでしたが、実際には、想定以上でした。というのも、外付けディスプレイにつないでからというもの、ほとんどMacBookProを外して使うということがなくなってしまったのです。
ソファで寝っ転がりながら仕事をする、という「家ノマド派」の人と、自分はずいぶんちがっていたということです。MacBookProをディスプレイにつないでみると、リビングではめったに仕事をしなかった自分が、リビングでは全く仕事をしなくなりました。
こうなると、「新しいMacBook」が外出時に活躍し始めます。若干いびつな気もしましたが、このようにして私は、家ではめったにふたを開けないMacBookProを使い、外では12インチの「新しいMacBook」を使うという「ノート2台体制」に適合してしまったのでした。
MacBookPro13が壊れたので緊急避難的に12インチMacBookをディスプレイにつないだ
1年以上、安定した状況が続いた後、冒頭に述べたとおりの事態が起こりました。「ノート2台体制」にすっかり依存しきっていたため、MacBookProが壊れて実はちょっと慌てたのですが、このような事態になって、しかも仕事は待ってくれないとなると、すぐに人間は適応すべく手段を考えるものです。
私は、さっそく12インチの新しいMacBookに外部ディスプレイをつないで、必要な環境をどんどんインストールし、何事もなかったかのように仕事を続けました。
緊急事態を逃れた安心感も手伝い、しばらくは、「これで全く問題ないじゃん」と考えました。つまり、「新しいMacBook1台体制」をとり、不要なクラウド環境の契約を打ち切り、家でも外でも「新しいMacBook」だけに頼ろうとしたわけです。
が、しばらくしてそういうわけにはいかないと思い知らされます。
なんといっても、遅いのです。外部拡張性が貧弱すぎるということもありますが、そんなことよりやはり動作速度が遅すぎる。Evernoteの同期などでつまずいたときに、ちょっとしたアプリのアップデートと、仕事が立て込んでくるタイミングが重なると、もうどうしようもない。
いくつかのことをやりながら、他にも必要なことをやる、といったことをやり続けるには、やはり現状の「新しいMacBook」では無理があったのでした。
ふたを開けないMacBookProとなれば
そこで結局、買い換えに踏み切ることにしました。
しかし、MacBookProは「ふたを開けないノートブック」だったのですから、新しく購入するMacは、「ディスプレイのないMacBook」でいいはずでした。
という観点で選択するなら、Mac miniでいい、というわけでした。iMacに未練がなかったとは言えません。電源ケーブル1本と、ディスプレイ接続ケーブル1本の、計2本が机から消える爽快感には、魅力がありました。
でも値段が違う。それに私は、なんだかんだといって、文字入力が専門です。Evernoteの同期の速度のためだけに高性能を求めるというのも、自分には贅沢が過ぎると思いました。
Mac miniには満足しています。使用感は、それほど「ふたを開けないMacBookPro13」と違いがないという気がしますが、机が広く見えるようになりました。
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おかげさまで重版がかかりました。
この本は、完璧主義、または「最上志向」へのラディカルなアンチ・テーゼを打ち出した本です。ワニブックスさんからでなければ、なかなか出せなかったでしょう。
「そうは言っても・・・」という反発はよくわかります。書いた私がそう感じていたのです。
しかしやはりプロとしては手抜きは許されない。それは当然として・・・ということを、絶対にかかないようにしたつもりです。大事なところは「手抜きをせずに」というアプローチも、排除しました。
立派な気持ちに酔っていられる間は何も問題ないのです。問題は、それで悪酔いしたときに戻ってこられなくなることの方です。