激怒しているときには何もするな。嵐の海に漕ぎ出すようなものだ。
─トーマス・フラー(英 歴史家)
怒りにまかせた言動からは、何も生まれない。しいて言えば瞬間的に溜飲が下がるくらいで、永続的な効果はほとんどない。あるとすれば、「この人は怒りっぽい~」「すぐキレる~」という印象を相手の中に刻みつけることくらい。
『人を動かす』の中に、南北戦争下のリンカーンが、自分の命令に背いた前線の将軍に対して怒りにまかせた手紙を書いたものの、実際に送りつけることはしなかった、というエピソードが出てくる。
手紙を書くことで、すでに気が済んでしまっており、その手紙が相手に届けられなかったとしても、少なくともリンカーン自身の怒りは鎮まっている。その手紙の役割はすでに終わっているのだ(実際には、手紙を預かった奥さんが気を利かせて投函しなかった)。
時代を現代に戻して、今日の仕事においても怒りにまかせたメールを書くだけ書いて、あとは草稿箱にでも放り込んでおけば、無用な波風を立てずに済む。
書くことで自分は満足し、それでいてその言葉で相手を傷つけることもない。
最近読み始めた『人間関係をしなやかにする たったひとつのルール はじめての選択理論』という本も、別のアプローチで同じ問題を解決する知恵を授けてくれている。
選択理論アイランドの住人は、別に仙人のような人の集まりではありません。怒りを感じなくなるのではなく、〈怒り行動〉を選択しない術を学んでいるのです。
長い目で見ると、怒りを表現した自分の行動の後始末は、怒り行動を選択しない努力よりも大変です。それを身にしみて感じている人たちが、選択理論アイランドに移住してきているのかもしれません。
» 人間関係をしなやかにする たったひとつのルール はじめての選択理論