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事実と感情を分けて書けば、次にすべきことが見えてくる



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日誌と日記を書き分けています。
以下、16年前に書いた記事より。

» パソコン日記のすすめ

私は毎日パソコンで「日誌」と「日記」をつけている。ここで、「日誌」と「日記」とわけて書いたが、これには理由がある。手元の辞書(角川・類語国語辞典)によると、「日誌」は「毎日の出来事を記録したもの」、「日記」は「毎日の出来事や感想を記録したもの」と定義されている。私はこれに従って、両者を区別して記録している。

「日誌」にはおもに自分のその日の行動や出来事をドライに記述している。何時に起きた、どこどこに行った、だれだれに会った、などである。そしてそれと平行して、それぞれの行動や出来事にかんしてその時自分が思ったこと、感じたこと、考えたことなどを「日記」として書き加えている。あとで読むときに、「日誌」の部分だけを読めば公の性格をもった記録、「日記」の部分も一緒に読めば個人の記録となる。別のいいかたをすれば、概略を知りたければ「日誌」、詳細も知りたければ「日記」もふくめて読めばよい、ということになる。

まとめると、次のようになります。

  • 日誌=客観的、自分の取った行動や起きた出来事の記録
  • 日記=主観的、行動や出来事についての思考・感情の記録

なぜ分けるのか。そして、そもそもなぜ記録に書き残すのか。


なぜ記録に書き残すのか

大学時代から日誌・日記を続けていますが、その間に無数の試行錯誤を繰り返してきています。今もその途上にあります。

いろいろやってみて分かったのは、時間がたつと、自分という人間は他人になる、ということ。

細かいところをはしょって、グッときたところだけを書いても、時間がたつと何のことやらさっぱりわからない。日誌的な殻があって初めて日記的な中身が保たれるのです。

たとえば、以下。

今日はひたすら疲れたので早めに寝る…

書いてから数日以内であれば、「あぁ、この日は朝から予定ぎっしりだったからなー」などと、その心境を再現することができますが、5年後に読み返しても「え? 何があった?」ということになるでしょう。

この日記的一行に先だって、前夜に何時に寝て何時に起きて何時に家を出たのか、そしてどこに行って誰と何をしたのかについての記録があれば、それら日誌的記述を足がかりに、その日一日を再現することができます。

そうしたうえで「今日はひたすら疲れたので早めに寝る…」という日記的一行にぶつかれば、「あぁ、さもありなん」と深く納得できるでしょう。

行動を改めるために

納得しただけで終わってもいいのですが、さらに先があります。

日誌にしろ日記にしろ、記録をとる理由は、それを記録するに足ると自分が下した判断の根拠を残すため、です。

人生のすべては記録できないので、何かを記録しようと思ったら「何を記録しないか」を決める必要があります。多くの場合、これは無意識のうちに自動的に決まります。

数多ある記録対象の中で、その何かだけが強烈に自分の関心を引き、感情を揺さぶり、記録という行動に駆り立てるのです。

記録し、これを読み返すことで、この感情をもういちど体験することができます。

そうすることで、

  • 良い感情であれば、これを再現するために同じ行動をとる
  • 良くない感情であれば、これを封印するために別の行動をとる

といった方向付けを与えることができます。

誰かから「○○はしない方がいいよ」と教えられても、なかなか実践できないのは、そこに感情が伴わないからです。

何か行動を起こして良い気分になったり、逆に痛い目に遭ったり、といった感情を伴った体験が人の行動に影響を与えます。

記録に残し、読み返すことで、これを増幅させることができます。

記録とは人生という音楽をより豊かに奏でるためのアンプなのです。

事実と感情を分けて書く

いろいろ書きましたが、大事なことは次の3つです。

  1. 日誌を書く(事実)
  2. 日記を書く(感情)
  3. 読み返す(追体験)

僕自身は、週に一度その一週間の日誌と日記を読み返しています。そこから次に起こすべき行動や従うべき方針が出てくるからです。

それらは当たり前ですが自分の体験に即したものばかりですので、振り回される、ということがありません。

一方で独りよがりに陥る危険性もあります。そこで役に立つのが読書です。

これについてはまた改めて。

 

合わせて読みたい:

日記に何を書けばいいかで迷ったら、この本がおすすめです。
何を記録すればいいか迷っているということは、人生に迷っているのと同義ではないか、とさえ思っています…。

では、何を捨てて何を書けばいいのか。
この答えは一人ひとり違ったものになる。
自分にとって必要なこと、自分にとって大切なことを書けばいい、というのが答えだから。


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