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会社を信じている人、諦めている人、牛耳っている人

厳しいことを言うようだが、現実問題として、どうしようもなく「できない人間」というのは確実に存在する。

日本の場合は、企業風土として終身雇用に基づいて「人を育てる」という風潮が根強く残っているから、こういう発想は受け入れられにくいかも知れないが、会社というのは本来人間が入れ替わっていく場所だ。

営利目的に人間を集めて組織を作るわけで、そこにいる人間は随時入れ替わっていくのが当然だ。できる人間が生き残り、できない人間は淘汰されてしまう。

教師が子供を見捨てたりすることには問題があるが、会社というのはそれだけドライなものを本来持っている。教育することが営利目的にかなうのであれば、教育することになるが、教育の投資価値がない場合は、見捨てるというようでないと、今度はその会社のほうが淘汰されてしまう。

『頭をよくする ちょっとした「習慣術」』より


どんな会社にも必ず3種類の人がいる。それは、「信じている人」、「諦めている人」、そしてその両者を「牛耳っている人」である。

「信じている人」は、「牛耳っている人」に全幅の信頼を寄せ、会社のために一生懸命がんばる。「諦めている人」は、鼻から「牛耳っている人」をあてにしていないから、会社のためにほどほどにがんばる。「牛耳っている人」は、「信じている人」と「諦めている人」とをバランスよく使い分ける。

「牛耳っている人」にとっては、「信じている人」さえいてくれれば良さそうなものだが、会社の存続のためには「諦めている人」も必要になってくる。なぜなら、「信じている人」が必ずしも高い能力も兼ね備えているとは限らないし、「諦めている人」でも能力は高いということがあるからである。

「信じている人」にとっては、「諦めている人」は志気を削ぐ目障りな存在だが、それは多くの場合、必要悪である。なぜなら、「信じている人」にとっては「諦めている人」がいてくれるお陰で自分の評価が相対的にアップするからである。その結果「諦めている人」よりたくさんお金をもらえるので、さらに会社を信じて一層がんばる。

「諦めている人」は「信じている人」がいるがゆえに「諦めている人」になったという経緯があるので、「信じている人」のことを快くは思っていない。誰しも会社に入った時は「信じている人」である。しかし、社内には他にも多くの狂信的な「信じている人」がたくさんいることがわかり、「自分には無理だなぁ」ということで「諦めている人」に“転向”する。

社内が「諦めている人」だらけにならないのは、毎年4月に新たに「信じている人」を補充しているからである。この補充が切れると、積極的に「内製」する必要が出てくる。すなわち「諦めている人」を「信じている人」に改宗させるのだが、これは容易ではない。けだし「牛耳っている人」の腕の見せ所である。「牛耳っている人」は「信」と「諦」という表裏一体の駒が織りなすオセロゲームを見守っている。終わらせてはいけない、というのが唯一のルール。

信じたり諦めたりするのに疲れたら、盤の外で一休みするといい。それから再び盤に戻るなり、あるいは「牛耳っている人」になるなりどちらかを選べばいい。もちろん、そのまま盤の外に居続けるのもありだけど。

» 頭をよくするちょっとした「習慣術」 (祥伝社黄金文庫)