「人間には、二種類ある。チェックリストを使う人と、そうでない人だ」
と、誰かえらい人が言ったのかどうかは知りませんが、「チェックリスト」に対する人の反応には二つのパターンがありそうです。
一つは、「チェックリストなんて必要ない」というもの。ときに、その声には嫌悪感に近い印象を感じることもあります。
もう一つの反応は、「チェックリストは必要ですよね」。ごく普通に受け入れている場合から、より積極的に導入を進めている方もおられます。
片方はチェックリストと無縁な生活を願い、もう片方はチェックリストとうまく付き合っているといったところでしょうか。この両者の違いは、チェックリストという紙片を持っているかどうかにとどまりません。
では、何が違うのか。それが本書のテーマです。
苦く、尊い経験
私が20代前半の頃、株式投資に随分とはまっていました。いわゆる「デイトレ」と呼ばれているアレです。
まったく知識のない所からスタートしたので、まずは準備から。
書籍で基本的知識や分析手法、トレードにおけるコツなどを徹底的にインプットしました。続いて仮想取引です。最近は架空の口座を作って、実際の株価の変動を使いながら、「練習」できるサービスを提供している証券会社があります。ある程度数をこなして、「なるほど、こういうものか」と理解を深めました。このタイミングで一冊の本が書けるだけの知識はあったと思います。
後は、口座に実際に投資予算を入金し、トレードを始めるだけです。
結果的に、スタートしてから三ヶ月ぐらいの結果は相当に酷いものでした。売り買いのタイミングの判断だけではなく、単純に「売り」と「買い」の操作ミスといったレベルまで、「平時」ではちょっと考えられ無いようなミスを連発していました。もちろん、そんな状況で結果を残せるわけがありません。
その時、知識があっても十分にそれが使いこなせない状況があるのだ、というのを痛感しました。人の心はとても不安定で、状況が変化すれば持っている知識を思い出せなかったり、あるいは注意を向けるべき対象をあっさりと無視してしまいます。
それが「買う物を一つ忘れてしまう」とか「結婚記念日を忘れてしまう」というものなら__後者は少々危険ですが__リカバーできますが、大口のファンド運営や人の命に関わることであれば、取り返しのつかないことも起こりえます。
知識がある無能
医療現場で働いていた著者は、序章の中で「無知」と「無能」の違いについて簡単に紹介しています。
「無知」とは、知識が足りていないことです。無知によって引き起こされる失敗というのは確かにあります。
対して「無能」とはなんでしょうか。
二つめが「無能」だ。正しい知識はあるのだが、それを正しく活用できない場合を指す。設計ミスで崩落する高層ビル、気象学者が予兆を見落とした大雪、凶器が何だったかを聞き忘れることなどがこれにあたる。
これによって引き起こされるミスもあります。私たちから見て、できてあたり前のことが為されていない。これによって発生したミスに対しては憤りすら感じるかもしれません。
でも、すこし冷静に考えてみる必要があるかもしれません。技術は進歩し、知識は増え、機械はどんどん複雑になってきています。もし、その事実こそがミスを引き起こす原因になっているとすれば・・・
だが、患者を診たり、法律に携わったり、災害に対応したりしている側からすれば、それは仕事がどれだけ困難であるかということを無視した不公平な意見に思えるだろう。やるべきことと学ぶべき知識は日々増えている。大半の失敗は怠惰のせいではない。必死の努力にもかかわらず起きる失敗がほとんどなのだ。
私が、3ヶ月間の苦渋をなめた結果、新しい知識を仕入れることや、投資セミナーに出向くことを選択していたとすれば、その後投資資金を回復させることはおそらく出来なかったでしょう。
いくら知識を仕入れても、いったん自分のお金を使ってトレーディングを初めてしまえば、心が熱くなって、ムキになり、サンクコストが頭をもたげ、プロスペクト理論通り__つまり勝率を上げるための方法論とは真逆__の行動を選択し、しかもそれを自分の中で正当化してしまいます。
かくして、知識は霧の中へと消えていくわけです。
チェックリストを作るのは難しい
こういう状況では、新しい知識を仕入れることではなく、持っている知識を「どう活用するか」が問題になります。私がとった行動も、本書内で紹介されている多くの事例と同じく「チェックリスト」を作ることでした。
たくさんの書籍に書いてあることを全てまとめると莫大な量になるのは見えているので、ごく最低限のエッセンスに絞りました。長すぎるリストは目を通す気持ちがなくなりますし、目を通さないリストには意味がありません。
この作業はなかなか骨が折れました。何が本当に必要な項目なのかが、その時点でははっきりしないからです。とりあえず暫定版を作り、自分の「失敗」を加味しながら、ちょこちょことリストをバージョンアップしてくことの繰り返しを続けました。
そのリストは、「売り買いの判断」「入力作業」を行う前にチェックするものです。本書で言えば「読むのち行動」のチェックリストにあたります。このリストのおかげで、「冷静」な自分であれば起こさないであろうミスを最小限にすることができるようになりました。言い換えれば、後悔が起きる可能性を減らすことができた、というわけです。
それ以降、私は「チェックリストは必要ですよね」側の人間になっています。
さいごに
本書は「チェックリスト」についての本ですが、読み進めて行けばそれほど単純な内容では無いことに気がつきます。チェックリストというものを通して、人間の中に潜む限界性を認知し、それにいかに対応していくのか、という方法論について考えさせられる内容です。
もちろん、チェックリストは万能ではありませんし、「良いチェックリスト」もあれば「悪いチェックリスト」もあります。それはそれとして、「チェックリストってなんだか苦手なんだよな~」という方が本書を一読されれば、ちょっと考え方が変わると思います。
▼合わせて読みたい:
今回は投資のお話をしたので、ついでにこんな本も。「はじめに」の見出しが「知識を真に受けてはいけない」となっていますが、かなり痛快な内容です。タレブといえば『ブラック・スワン』が有名ですが、この本もかなり面白いので、一読をお勧めします。
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本文のような経験から、私は「行動経済学」という学問がとても好きです。その視点で方法論を構築していかないと、なかなか使いものになるツールにならないんじゃないかと、個人的には考えています。投資術でも、仕事術でも。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。