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『独学大全』を読む その2「進めるための方法」



倉下忠憲前回の続きで、『独学大全』を読み込んでいきます。



今回は、第1部「なぜ学ぶのかに立ち返ろう」です。

進めるための方法

第1部「なぜ学ぶのかに立ち返ろう」は、第1章から第6章が含まれており、そこで以下の15の技法が挙げられています。

  • 技法1 学びの動機付けマップ
  • 技法2 可能の階梯
  • 技法3 学習ルートマップ
  • 技法4 1/100プランニング
  • 技法5 2ミニッツ・スターター
  • 技法6 行動記録表
  • 技法7 グレー時間クレンジング
  • 技法8 ポモドーロ・テクニック
  • 技法9 逆説プランニング
  • 技法10 習慣レバレッジ
  • 技法11 行動デザインシート
  • 技法12 ラーニングログ
  • 技法13 ゲートキーパー
  • 技法14 私淑
  • 技法15 会読

これらの技法は、まとめると「進めるための方法」だと言えるでしょう。では、なぜ進めるための方法が必要なのか。以下にある通りです。

独学を始めることは難しくない。しかし続けることは容易くない。
我々の誰もが継続の重要性を理解している。しかしまた計画倒れを経験してもいる。続けることの難しさを痛感している。

前回書いたように、私たちは「長期的な計画とその実行に不向きな性質」を有しています。つまり、無茶な計画を立てがちなのです。そして、その計画通りにいかないと「ああ、やっぱりダメなんだ」と挫折を感じます。

しかし、そのような挫折は極めてありふれたものです。むしろ、何の情報のない状況で「フラット」に立てた計画は、ほとんど挫折が定められていると言っても過言ではありません。約束された勝利の剣(エクスカリバー)にちなんでいえば、約束された挫折の計画です。

この点を、拙著『「目標」の研究』ではトリッキーに表現しました。



上のようなことを知見として理解していても、やっぱり計画を立てたらそれは挫折が約束されているのです。もっと言えば、自分では「フラット」に計画を立てているつもりでも、そこには過大な楽観主義と理想が混ざり込んでいるのです。

これは独学に限ったことではありません。人間が立てる計画にはだいたい発生するバイアスですし、ひとりで(あるいは他者性が欠落した状態で)立てる計画、新しいことを始める計画ではそれが強く発生してしまいます。

だからこそ、(始めるためではなく)「進めるための方法」が必要なのです。

意志で直接戦わない

始めることは本当に簡単なのです。未来を(かなり楽観的に)展望し、最初の一歩を踏み出すことはほぼあらゆる環境が行動を促してくれます。

皆さんも、新しく何かにチャレンジしようとしている人に「頑張って、応援している」と声を掛けるのは容易いでしょう(むしろ心地よいことすらありえます)。

しかし、一年間続けてなかなか成果が上がらない人に「もう一年、ぜんぜん成果が上がらないかもしれないけども、続けよう」と気楽に声を掛けられるでしょうか。やっぱり難しいと思います。

その難しさの心情が、何かを続けることの難しさと呼応しています。ストレートに応援しにくい(≒動機付けされにくい)状況があるわけです。

よって、何の策もなく続けていくのは極めて難しいですし、まかりまちがっても「意志の力で超克する」などとは考えない方が吉です。

前回『ファスト&スロー』のシステム1とシステム2を紹介しましたが、システム1は強力で象のような存在、システム2は理性を有しながらも非力な象使いであるとするならば、「意志の力で超克する」とは、象が言うことを聞かないときに、河原でケンカして力づくで言うことを聞かそうとする努力のようなものです。

さすがに無理筋でしょう。

かといって象使いも無力ではありません。自分が進みたい方向にバナナを並べておくことで、象を誘導することは可能です。むしろ、それこそが象使いの仕事なのではないでしょうか。

外部を作る・外部とつながる

『独学大全』の第1部で語られている技法たちは、どこかに向かって進みたい気持ちをできるだけ具体化した上で、小刻みに歩めるように計画を設計し、その上で行動に取りかかる気持ちをエンハンスし、さらにそうした行動を継続するための環境を整えるものです。

そのような「意志」の外側にある仕組みを、本書では「外部足場」と呼び、積極的に活用しようと提案しています。というよりも、それしか凡人たる私たちには運命(というか生物的な傾向)に抗う術はない、といった具合です。
*私はそのような外部足場作りを「モチベーションをヘッジする」と呼んでいます。

大切なのは、その「外部性」(external)です。

外部とは、ある瞬間の自分の(気持ちの)外側にある、ということであり、それがあるからこそ、私たちは刹那的な反応の外側に脱出することができます。

すなわたちそれは、私たちはその「外部」を内側として取りこめることを意味します。つまり自己拡張なのです(external:expansion) 。そのとき、外と内の境目は曖昧になります。内は外であり、外は内でもありうるのです。

いささか哲学的なことを書いているようですが、そこまで大げさな話ではありません。非力な象使いは、単独で戦わなくても大丈夫なのだ、というくらいに受け取っていただければ十分です。

さいごに

とりあえず、「計画を立てて、それを実行しよう」がはじめからうまくいくと考えるのは、砂糖の分量を間違えたぜんざいくらいに甘い考えです。

実行がうまくいかないときに挫折している暇などありません。むしろそこがスタートラインなのです。

計画を修正し、方向性を調整し、なすべきことを再確認する。そして、再びの実行に挑戦する。

もちろん、その二度目の実行だってすぐにうまくいくわけではないでしょう。

しかし、自分がどれだけできないのかと共に、これくらいならできるということもわかってくるはずです。そうなったらしめたもの。後は、それを再帰的に繰り返していくだけです。
『Re:vison』(仮)も参考にどうぞ。

もちろん、ここまでを読んで「それならできそうだ」と思われたでしょうが、それもまた誤算が含まれていることだけは注意しておきます。

失敗が消え去ることはありません。ただ、それを乗り越えていける(あるいは巧妙に回避する)道を見つけられるようになるだけです。

▼編集後記:
倉下忠憲




『僕らの生存戦略』を地道に進めているところですが、別口から新しい企画案が立ち上がりました。微妙に忙しさがインクリメントしております。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中