ある人々にとっては希望の、また別の人々に取っては絶望の一冊になるかもしれません。
原題は「Talent Is Overrrated」。日本語の副題は「天才はこうしてつくられる」。副題からイメージされるのはマルコム・グラッドウェルの『天才!』です。ちょうど一年くらい前に発売された『天才!』では、”天才”という言葉に対して持つイメージを根本から見直す必要性が明らかにされました。
『究極の鍛錬』も同じような研究結果をベースとしており、論旨は才能という言葉の塗り替えが中心になっています。決定的に違うのは、どうすれば天才を生み出せるのかという方法論にまで突っ込んで考えられている点です。
『天才!』が「理論編」だとすればこの『究極の鍛錬』は「実践編」と言えるでしょう。
究極の鍛錬の五つの要素
『天才!』では、天才と呼ばれているような人たちの特徴を以下のようにまとめています。
頂点に立つ人物は他の人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねている。
『究極の鍛錬』においては、タイガーウッズとその父親の言葉が引かれています。
とてつもない成功の秘訣を尋ねられ、父親とその息子は常に同じ理由をあげている。それはひたすら練習することだ。
「練習は、重要。それはわかった。で、どうすればいい?」
このポイントに突っ込んでいるのが『究極の鍛錬』です。著者は偉大なる業績を作り出すための練習を”究極の鍛錬”と名付け、その特徴を5つの要素として提示しています。
- しばしば教師の手を借り、実績向上のための特別に考案されている
- 何度も繰り返すことができる
- 結果に関し継続的にフィードバックを受けることができる
- チェスやビジネスのように純粋に知的な活動であるか、スポーツのように主に肉体的な活動であるかにかかわらず、精神的にはとてもつらい
- あまりおもしろくない
この”究極の鍛錬”を積み重ねていく事こそが、天才に至る道だ、というわけです。
ビジネスのメンター
さて、ビジネスの分野でこの”究極の鍛錬”はいかに作用するでしょうか。まず考えておきたいのは、”究極の鍛錬”なしでもとりあえずビジネスパーソンになることはできる、という点。もう一点は大抵の企業は従業員に対して”究極の鍛錬”を与える環境を持っていない、という点です。詳しい内容に関しては直接本書を読んでいただければよいと思います。
印象深かったところをいくつか引用しておきます。
いくつかの分野、とくに芸術、科学、ビジネスのような知的分野では、最終的には自分自身で鍛錬の方法を考案するほど熟達していくのかもしれない。
最善の能力開発は常に進化しているが、中核となる原則は不変だ。現状の能力の限界に挑戦するように設計されているのだ。
究極の鍛錬では、業績を上げるのに改善な必要な要素を、鋭く限定し、認識することが求められ、意識しながらそうした要素を鍛え上げていく。
こうした特定の課題を自分自身でみつけられること自体が重要な能力だ。
要点はこうなります。
- 自分の能力を把握し、そこから課題を設定する
- 課題は「自分が今できる事」ではなく「できない事」にフォーカスが当てられている
- 課題をクリアしたら、1に戻り、同様の手順を繰り返す
書いてみると、非常にシンプルです。でも、こういった事はなかなかできません。まず、能力を把握する事はそんなに簡単な事ではありません。そして、そこから適切な課題を設定するにも一定の知識が必要になってきます。
そこで、登場するのかメンターです。
メンターという存在を新たな観点で見直す必要があるだろう。単に助言を受ける知恵のある人という観点ではなく、自分の専門分野で経験の深い達人として、次の段階で身につけるべき技術や能力は何か助言を受けたり、自分の訓練でフィードバックを与えてもらえる存在として見直してみる必要があるだろう。
さて、このようなメンターをお持ちでしょうか。お持ちでないならば、職場の先輩やなどから探してみるのもよいかもしれません。あるいはTwitter、Facebookなどを通じて探してみてもよいでしょう。もちろん、あなたが自分の能力を向上させたくないと考えておられるならばこんな手間をかける必要はありません。
まとめ
「才能」とか「天才」という言葉は非常に便利です。何か偉業を達成した人には「あの人は才能があるんだ」と言い、何もできない自分に対しては「自分が才能がないから」と言い訳する事ができます。しかしながら、達人と凡人の間には想像を絶するぐらいの練習時間の差が厳然と存在します。「才能」という言葉はそれを覆い隠すカーテンのような機能を発揮します。
「誰でも、”究極の鍛錬”を積めば”天才”になれる」
というメッセージはとてもシンプルで力強いものです。このメッセージは「誰にでも天才への門は開かれている」とも解釈できますし、あるいは「究極の鍛錬は避けては通れない」事も意味します。これは、上を目指す意欲溢れる人の目には希望として、楽して成功したいと考えている人の目には絶望として映るでしょう。
さて、あなたの目にはどんな風に映りましたか。
▼合わせて読みたい:
既存の天才のイメージをぶちこわす一冊。この本を読めば「一万時間」の重要性が理解できます。
今までは、副業的な位置づけでこうして文章をかいておりましたが、今後はそれを生業の中心にしていこうと思い立ち先日独立しました。現在は晴れてフリーランサーの立場です。ビジネス系の話題で書きたいことはいろいろあるので、連載とか本のお仕事の話があればお声かけていただければ幸いです。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。