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原風景を巡る



大橋悦夫2月28日に父が他界し、3月4日に葬儀、4月14日に七七日法要(四十九日)を済ませてからの連休。依然として母は父ロスで低空飛行はあるものの、低め安定な日々。

実家が同じ都内にあり、電車で1時間ほどで行き来できるため、結果として平日は自宅、週末は実家で過ごすことが日常になりました。

実家のネット環境を整え、荷物部屋と化していたかつての自室を仕事ができるくらいに整理し、気づけばいま流行りの(?)デュアルライフになっています。

今回の実家滞在ではランニングシューズを持ち込んで、近所をランニング。

  • 通った幼稚園
  • 通った小学校
  • 小学校時代に短期間所属していた少年野球チームで使った野球場
  • モンキーパンチの自宅(跡地、家はすでになくなっていた)
  • 東京都区内にたった一軒残る酪農家・小泉牧場
  • 小学校時代の恩師の自宅
  • 風邪を引くたびにかかっていた町医者
  • 行きつけのうなぎ屋(店主は父と同い年)
  • グラディウスIIやバブルボブルをプレイするために通ったバッティングセンター(バッティングは一切せず、ゲームコーナーのみ利用)
  • スパゲッティの味を覚えた喫茶店(カフェではない)

などなど、今となっては原風景となるスポットを巡りました。

原風景とは?

原風景という言葉、今回の話を書くに当たっておそらく僕がイメージしているものを指している言葉だと思います。

以下、大辞林の定義より(「原風景」の定義に現れる「原体験」の定義も合わせて)。

げん ふうけい【原風景】原体験から生ずる様々なイメージのうち,風景の形をとっているもの。「僕の━」

げん たいけん【原体験】記憶の底にいつまでも残り,その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験。

生まれてから大学卒業までの22年間を過ごした地だけに、思い出深い風景が無数にあります。

そして、これはうまく伝えられるか分からないのですが、ある特定の概念を思い浮かべるたびに常に同じ風景が脳裏によぎることがあり、その風景というのが今回巡った中に含まれているのです(ほかにもありますが巡りきれず)。

おそらく、脳が目に見えない概念を記憶に留めるために、すでに長期記憶に根づいている風景情報(原風景)と関連づけているのだと想像します。

概念と風景との間には何ら関連性は見いだせないのですが、その概念を想起するとき、これに関連づけられた風景が自動的に脳内再生されます。これを止めることは不可能。

同じ風景を見ても、その風景に深いなじみのある人にとっては特定の概念を想起させることが多々あるということです。

今回、可能な限りの僕自身の原風景を巡ることができ、文字通り脳内ツアーができたような不思議な充実感がありました。

具体的に何かメリットがあったかというと、特にはないのですが、脳内で繰り返し使いこんでくすみまくっていた風景画像を今回の巡行ランで修復・復元できたようなスッキリした感覚があります。

つまり、概念想起において今後もくり返し使われることになるイメージカードを刷新できた、ということです(うーむ、伝わるのかこれ)。

原風景の一部

以下、実際の僕の原風景の一部です。載せてもまったく意味はないと思いつつ、これを読んでくださっている方にとって「こういう感じの風景は確かに自分にもあるな」と思い当たるきっかけとなるかもしれないので、載せます。

▼通った小学校

▼小学校時代に短期間所属していた少年野球チームで使った野球場

▼東京都区内にたった一軒残る酪農家・小泉牧場

▼グラディウスIIやバブルボブルをプレイするために通ったバッティングセンター(バッティングは一切せず、ゲームコーナーのみ利用)

▼スパゲッティの味を覚えた喫茶店(カフェではない)


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必要なのは、自分にとっての「グラディウス」を見つけ出し、これに心おきなく没頭する勇気を持つこと。