若干荒療治的な方法ではありますが、結論を先に言ってしまうと、
「まともな仕事環境を剥奪する」
ことです。
私はタスクシュートを使わない日、というものを最近、2週間に1度くらいもうけています。
「それはいいことだ」とアンチな人たちは言うでしょうが、私は精神的健全さを取り戻すためにこうした日を設けているのではないのです。
たすくまなしに過ごしていると、強烈な不安に襲われます。
今やっていることの適切さが確認できず、次に何をしたらいいかがさっぱり分からない。
紙やペンを使ってもいいので、実際そうするのですが、ぜんぜん落ち着けない。
それらはただ、「今やるべきだと思い起こせた、小範囲内のこと」を書き留めているというだけで、無意味ではないにせよ、不安はまったくおさまりません。
いつもやっていて、間違いなく良いことで「それをやってもとてもまっとうな時間に心おきなく眠ることができるためにやるべきこと」が、リストの上にいつもきちんと控えているという圧倒的な安心感が、手元にない!
たすくま!
と思わず叫び出したくなる。それでもなんとかこらえる。
「ありがたみわかり機」
ありがたみわかり機とは『ドラえもん』のエピソード及びそれに登場するひみつ道具。
普段当たり前のように存在する物を使用者から断ち切り、そのありがたみを実感させる道具。
ありがたみわかり機 – アニヲタWiki(仮) – アットウィキ
「ありがたみわかり機」でたすくまを断ち切る日なのです。
タスクシュートのこのへんの感覚が分からない方は、PowerPointで100スライド作成という「業務」を「保存なし」で乗り切らなければいけないといわれたような感じ、といったら伝わるでしょうか?
これを1日挟むと、翌日のたすくまありでの仕事ができる幸せを強烈に実感でき、仕事そのものへのモチベーションも劇的といっていいほど高くなります。(「休日」もログだけはたすくまに残してあります)
なんでもいいのです。ふだん「これがなければ仕事にならない!」というモノを断ちきって仕事をしてみましょう。
普通に仕事ができる幸せがよみがえるほどに、仕事へのモチベーションも高まるはずです。