新春から少々縁起が悪いことのようで恐縮ですが、父が仕事を引退しました。といってももう70過ぎですから、世間的に言ってそう驚くようなことではありません。父が「僧侶」でなければ。
私は40年以上かなり間近で父を見てきており、この際起こったことの印象としては控えめに言っても「一寸先は闇」という表現がふさわしいと思っています。少々大げさに言わせてもらえば、まるで自分の身の回りにだけ、大震災が起こったような、そんな気分です。
これが2017年末に起こったことです。
そして2018年初を迎えるにあたって、私が「これを教訓としよう!」と決意したことは、「ルーチンは一秒後にも、すべてがムダになるかわからないと覚悟しつつ、こなすこと」です。
「戦争」にはならないと思いますが
ある国の貨幣をコツコツと貯蓄して、それの収支を連日のように必死に計算していたとしても、その国が戦争をおっぱじめ、劇的な敗北で終わったりすれば、その貯金も、まして家計簿は、まったく意味のないものになってしまうでしょう。
ルーチン作業には、そういうところがあります。
しかし、だからといってやめるわけにはいかないのです。
私はかなり深刻に雷恐怖症なのですが、雷光が閃くとほぼ同時に雷鳴ががなり立てるような事態になると、パニックに見舞われそうになります。それが高速道路で遭遇したりした日には!
でもそうしたとき、たとえ雷に直撃される危険がどんなに身に迫っていようと(ちなみにそういうケースにおいては車の中がいちばん安全なのだそうですが)、自分にできることとしては、冷静に運転し続けることしかあり得ません。
雷は「直撃しないかもしれない」のですから。
同じように、毎日のルーチンワークがまったくムダなことの繰り返しに過ぎない可能性がどれほど高くなったとしても、いっさいがムダに「ならない」ケースに「備え」て、ルーチン作業を冷静に続けていくのがいちばんよかったりするものです。
拙著からの引用となってしまってまことに恐縮ですが、私は最近上梓したモノに次のように書きました。こんなことはそれこそ「いっさいがご破算になったらどうでもいいこと」でしかありませんが、「いっさいがご破算にならないかもしれない」のであって、ブラックスワン同様、人は先がまったく読めないのです。
2回分ためてしまったら2倍以上時間がかかることになる仕事と、そうはならない仕事とがあって、ためてしまったら長い時間を要する仕事ほど、毎日やるようにする必要がある
ルーチン作業といってもいろいろある
どんなルーチン作業をやっているか、まずは洗い出してみる必要があります。
さらに、それぞれの特性を分類・整理する必要もあります。
そして、なるべく自分でルーチン作業をやらないようにする必要もあります。
やった方がいいことが、もっとあるという気もすると思いますが、いっさいがご破算になったら、どれもこれもやるだけムダだということも、できる限り念頭に置くべきだといまの私は思っています。
でもやっぱりルーチンに時間を丁寧に書けるべきです。
なぜなら、いっさいがご破算になどならないかもしれないから。
経費精算のレシート、たまってませんか?
2日分をためたら、その処理にかける時間は、2倍以上になります。3日分をためたら、3倍以上になります。増えることはあっても、減ることはありません。時間を大事に使うつもりなら、損なことはしないこと。
それに尽きます。