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記録を「判断の歴史」としてとらえると、その有用性が増し、習慣化を後押ししてくれる



大橋悦夫タスクシュートでは、とにかく記録とふり返りを重視します。重視するというより、それがタスクシュート方式の根幹なので、無視できない、とも言えます。

それでも、

記録が大事なのは分かってはいるけど、忙しくなると記録が途絶える。

という悩みは尽きません。

その一方で、粛々と記録を続けることができている方もいて、「何が違うのだろうか?」と、以前から不思議に思っていました。

習慣化するうえで重要な2つのこと

何かを習慣化するうえでは、重要なことが2つあります。

1つは、続けることが透明化すること。

気づいたらやっていた! というくらい、それをするのがごく自然なことであるというレベルにまで持っていくことです。

もう1つは、そこから絶えずメリットが得られること。

たとえば、歯磨きであれば、多くの人にとって「透明化」しているものですし、それを続けることで、例えば、歯医者に行かなくても済む、というメリットが得られます。

この考え方に沿って、記録とふり返りを習慣化するにはどうすればいいか?

透明化は、とにかく繰り返すことでしか到達できないところなので今回は割愛しまして、メリットが得られるように持っていくにはどうすればいいか、に目を向けます。

結論から言うと、残した記録が何らかの形で「これは役に立つ!」と実感できるようにすることです。

そのように実感できるときというのは、記録が「判断の歴史」になっているときでしょう。

thinking-w250それを辿っていけば、「どうしてこうなった?」に答えられるようになる状態です。

  • 「この時間は何をしていたのだろう?」
  • 「どうして、今まで気づかなかったのだろう?」
  • 「どこで間違えたのだろう?」
  • 「どこまで戻ればいいのだろう?」

こういった疑問に答えてくれるのが「判断の歴史」としての記録だと考えています。

そのためには、作業の“分岐点”、すなわち判断が求められるポイントにさしかかるたびに、何をどう判断したのか、そしてそう判断した理由や根拠について記録に残しておくようにする必要があります。

こうすることで、自分の歩いてきた道を正確に辿ることができるようになり、その結果として、迷子にならなくて済みます。

ちょうど、グリム童話のヘンゼルとグレーテルが、道に迷わないようにパンくずを落として目印としていたように。

“分岐点”をスルーしてしまう問題とその解決法

“分岐点”に差し掛かったら、パンくずを落とすように記録をつけるわけですが、そのためには「あ、まさに今ここが“分岐点”だ!」と気づける必要があります。

でも、記録が漏れるのは“分岐点”に差し掛かっているのにそれに気づかずにスルーしてしまうからでしょう。

これでは、いつまでたっても記録が取れないことになります。

でも、大丈夫です。それは誰しもが必ず通る“通過点”だからです。

「あー、やっぱりさっきの場所が“分岐点”だったんだ…」という失敗を重ねることで、“分岐点”に気づけるようになります。

従って、この失敗についても記録に残していけばいいわけです。

これをくり返しているうちに、正確に“分岐点”を見極められるようになり、過不足のない記録を残せるようになるはずです。

このあたりについては、以下の記事で触れた「アリアドネの糸」に通じるところがあります。

» 記録を続けていると、そこに近道が現れる

こうした、自己探求活動において記録はまさにアリアドネの糸になると思うわけです。

人生という“迷宮”をあてもなくさまよう代わりに、毛玉から糸を垂らしながら、すなわち記録を残しながら歩き回ることで、堂々巡りを避けられるからです。


また、「どうしてこうなった?」を追及するための記録の取り方については以下の記事で書いています。

» なぜ分単位で行動記録を残すのか? ずっと取り続ける必要があるのか? 意味はあるのか?

英単語の意味であれば、辿れなくても問題はないかもしれませんが、例えば以下のような場合はどうでしょう。

  • ふと時計を見ると22:57。
  • 今日やろうとしていた仕事はひとつも終わっていない。
  • どうしてこうなった?

ここで記録が残っていれば、すなわち、22:57に至るまでのジャーナルがすべて残っていれば、どの時点で“道”を誤ったのかを辿ることができます。

原因を特定できれば、翌日以降はトランザクション処理の方法を改めることができます。

ジャーナルが残っていなければ、もう自分を責めるしかなくなります。