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「空いた時間にやるべき大事なこと」を考えていては、いつまでたっても時間管理はうまくいかない

By: Lauri VäinCC BY 2.0


佐々木正悟 少し前にいただいた拙著の書評記事なのですが、あの本には必死になって書いた事が、どうしてもなかなか呑み込んでいただけないので、またしても書いてみます。

最近佐々木さんのTaskChute本を読んでるのだけど、これが実に面白い。

TaskChuteとは時間のバジェット管理 ー Daily Beck 5/14号 | Hacks for Creative Life! – ライフハックで明日をちょっぴりクリエイティブに –

ありがとうございます。

面白く読んでもらってもなお了解されない部分というのは、結局のところ私の書き方が悪いのか、それとも原理的に非常にわかりにくい話なのか、やはり両方なのでしょうか。

タスクシュートは、どうしても、あまりにも多くの方に、次のように理解されてしまいます。おそらくこれは、人間の脳が「時間」というものをこのように理解したがっているということなのでしょう。

時間の「バジェット管理」はできない

で、昨日読んでて思ったのが、TaskChute式というのは、時間のバジェット管理に近いなと。自分に割り当てられた24時間に対してタスクを漏れなく埋めていくことで、後自分には”使える時間”がどれだけあるかを常に把握できるようになる。

TaskChuteとは時間のバジェット管理 ー Daily Beck 5/14号 | Hacks for Creative Life! – ライフハックで明日をちょっぴりクリエイティブに –

そう思われるのかもしれません。このような感じ方が、きわめて常識的なのでしょう。お金であればあるいは「バジェット管理」というのも正しいのかもしれません。それでも、たとえお金であっても、「お金に余裕のある限り」という条件が付くでしょう。

そして、時間管理については、この条件が成立しないのです。だから「バジェット管理」はできません。なぜなら「後自分には“使える時間”がどれだけあるかを常に把握」することは、意味がないからです。「使える時間」はいつだってゼロか、マイナスか、いずれかだからです。

時間は、止められない、貯められない。

まずこの、一見恥ずかしくなるくらい当たり前のことを、人間、理解せずに過ごしているということを把握するのが、タスクシュートのはじまりです。

計画を立て、実績を記録していくことでその乖離を知ることができ、見積もりの精度を高めつつ、乖離を常時把握することでリカバリーをリアルタイムに打てるようになる。これって、会社の予算管理とすげー似てるよなと。

TaskChuteとは時間のバジェット管理 ー Daily Beck 5/14号 | Hacks for Creative Life! – ライフハックで明日をちょっぴりクリエイティブに –

会社の予算管理については私は知りませんから何も言えません。しかし、タスクシュート式時間管理とは、決してこういうものでは、ないのです。これは、頭の中でやることであって、「時間を止めて」こそ、できるものです。そして何か時間が「固定的に供給されるリソース」のようなものであってはじめて、できることです。

時間は、止まりません。「計画を立て」ているうちにも、1秒、2秒、5秒、1分、3分・・・と、時間は進んでいくのです。実績を記録するのは、少なくとも第一義的には、計画との乖離を知るためではなく、見積もりの精度を高めるのも、時間管理にさほど役に立つものではないでしょう。

早い話、計画を立て、実績との乖離を知って、見積もり精度を高めてみても、それを何度か繰り返してみても、相変わらず「時間が足りない」「時間に追われる」「時間が全くなくなる」という事態に変化は訪れないでしょう。それだったら、タスクシュート式だろうと他の計画だろうと、時間管理に失敗し続けることに変わりはないはずです。

知るべきは、今目の前にある、その目の前で行っている、その行動です。その行動の不合理さを、知るべきなのです。

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タスクシュートの役割は計画ではなくシミュレーション

「計画を立てる」というのは「今週の計画」とか「今後の計画」とか、やらないとならないことをリストに書き出してカレンダーに分散させるということでしょう。でも、タスクシュートでとにかくやることは、そんな「計画」ではなくシミュレーションです。

人間の行動には、今、これをやっている以上、次にはあれをやることになり、その次にやらなければならないことをすれば、その次には・・・という必然的流れというものがあります。妻は今、洗濯物を回しています。その流れで、自動食器洗い機に食器を詰め込んでいます。もうすぐ、小学校へ出かける時間が迫っています。

私は妻に、タスクシュートを奨めていませんし、彼女もその必要を感じていませんが、彼女の今やっている行動は「時間に間に合う」という観点で見れば、不合理です。10分後には、時間が足りないといって、慌て、騒ぎ出します。彼女には、なぜ、いまやっていることが不合理なのかが見えないのですが、それはシミュレーションをしておらず、行っている行動の記録もないからです。

今からでも、タスクシュートを適切に使えば、彼女はおそらく、そんなに慌てずとも済むし、騒がなくてもよくなりますが、それは、計画を立て、記録をとって、乖離を調べ、見積もり精度を高める、などということをするからではないのです。今やっていることがいつ、どのように終わり、学校に行く時間までに、どんな行動を差し込むことが、どの程度合理的か、考えずに行動することで、時間の管理が達成されます。

あらゆる行動は、今、目の前で行っているようにしか、できないのです。どんな行動でも、同じです。何かしら手を動かし、目を動かし、行為をし、疲れ、脱線しつつ、自分を修正し、どうにか行動の終着点に行き着き、次の行動に移る。時間はその時に使うのですが、たとえ、計画を立てていても、休んでいても、何もしなくても、時間が止まっていてくれることは、ありません。行動と時間は、不可分であり、行動しなくてもやっぱり不可分です。

だから、「お肉」を「100グラム」というような、「●●行動」に「1時間」を「割り当てる」ような考え方は、現実といかにもずれているのです。そうではなくA→B→C→D→E・・・と進む必然性とF→G→H→I・・・と進む必然性の、どちらがより合理的な進行であるか、あったかを見極めつつ、Zまでいったときに、終電の時間を越えているかどうかをチェックする。

Zに至ったとき、終電の時間を越えていてはいけないのなら、いま、C→D→Eという流れのなかにいてはいけない、ということが「タスクシュートを使えば見える」はずです。それが「見えた」のに、なお今「D」をやっているのは不合理だ、と痛感するはずです。

そして、Dをやっている以上、Dだけをすることは決してできず、CもEも「しないわけにいかなかった」ことまでもが見える。さらに、それは不合理だが、避けることができていないことも見える。そこに苦痛を感じざるを得ない。

その痛感が、そのような不合理な行動をとりたいという気持ちを冷やし、その冷却の繰り返しによって、時間管理が桁違いにうまくなるのです。

逆にいえば、その不合理な行動を取りたいという気持ちを冷却しないうちは、あるいはそもそもとりたい行動が不合理だと気づきもしていない間は、一見どれほど合理的な行動計画を立案したところで、時間の余裕など、1秒たりとも生まれはしないでしょう。